| 獅子島の概要。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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04年5月、天草ツーリング第1日目は、八代海に浮かぶ獅子島へ行きました。わたしがお宿を借りた本渡市から南へ約20キロメートル走り、さらに定期フェリーで海を越えて獅子島へ上陸しました。 本渡市がある天草島(下島)が、すでに九州から離れた島なのですが、獅子島はさらに船の乗って行かなければならない“島の中の島”です。
獅子島へは、本渡市から南へ約20キロメートルのところにある中田(なかた)港から総トン数330トンの小さな定期フェリーが運行しています。フェリーは天長フェリー株式会社(鹿児島県出水郡東町諸浦)が運行しており、船の名前は「フェリーロザリオ号」です。 フェリーロザリオ号は、中田港から獅子島の玄関口である片側(かたそば)港の間を1日4便(04年5月時点)ほど運行しています。片側港までの距離は約9キロメートルあり、フェリーロザリオ号はこの間を約30分で結んでいます。 中田港から片側港(獅子島)へ行く朝1番の便は8時10分です。本渡市から中田港までは約20キロメートルあり、わたしの自転車の平均速度は時速約7キロメートルですから、単純に計算して3時間くらいかかってしまいます。これでは、朝5時に本渡を出発しないと8時10分の出発に間に合わないことになってしまいます。 わたしは、地形測定ソフトのカシミール3Dを使って、本渡市から中田港までの起伏を調べました。すると、小さな島にありがちな海岸線の激しい起伏がこの区間にはほとんどないことを発見しました。起伏があったとしても標高差で50メートルくらいの小さな丘が2〜3あるくらいです。これなら、一所懸命にペダルを回せば、平均速度を時速10キロメートルに高めることも不可能ではありません。 起伏があまりない平坦な道が続くということを前提に、わたしは本渡市から中田港までの移動時間を2時間に設定しました。逆算すると朝5時に起きて、6時前に出発すれば、8時10分の出港に間に合います。前日の夜、本渡市のお宿の近くにあるスーパーでお弁当を買って鞄に入れました。翌日の朝ご飯は、このお弁当をフェリーロザリオ号の上で食べようと考えたからです。 | クリックすると拡大します。 |
| 中田港へ向けて出発。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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8時10分に中田港を出発するフェリーロザリオ号に間に合うよう、朝6時に本渡市を出発。中田港まで2時間以内で到着するよう、気合い十分で自転車のペダルを回し始めました。本渡市内は、朝早いこともあり、クルマの数もまばらです。 本渡市と中田港を結ぶ県道26号線の半分くらいは海沿いを走っています。こうした海岸線沿いの道としては珍しく起伏が少なく、なんとか平均時速10キロメートルを維持できそうです。昇ってきたばかりの太陽の光が山や海に照りつけ、山の露(つゆ)や海に反射して、きらきら輝いています。 わたしには、山霧が通り過ぎるのを待っている時間はないので、霧のなかを走ることにしました。一旦、自転車を停めて、鞄のなかからヘッドライト(前照灯)とテールライト(後部の赤色灯)を取り出して自転車に取り付けました。けっこう大きくて濃い山霧のようです。 谷間を流れる山霧に突入した瞬間、視界は急に悪くなり、視界は5メートルほどに悪くなってしまいました。わたしは、これまで巡航速度時速18キロメートルで走っていたのを、巡航速度10キロメートルに落として徐行することにしました。わたしの後ろを走る専属カメラマンは、わたしの後ろに取り付けてある「赤色灯しか見えなくなった」と叫んでいます。 わたしは眼鏡をかけているのですが、霧のなかの水滴が眼鏡のレンズに付着して、さらに視界が悪くなりました。トロトロと徐行しながら3キロメートルほど走ったところで、山霧のなかから脱出することができました。山霧から抜けたのは標高差で50メートルほど登ってきた小高い丘の上でした。 丘の上と言っても、標高差を小さくするための「切り通し」の道で、山霧はこの切り通しの道を海に向かって流れていったのだと思います。再び太陽の光が地面に照りつけ、気温がぐんぐん上がっていくのを感じました。わたしは、ヘッドライトとテールライトを取り外して、鞄のなかにしまいました。 |
| 交通事故の被害者。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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少し水を飲んでから、遅れを取り戻すため急いで、ペダルを回し始めたときでした。前方に黒っぽい犬のような動物が倒れているのを発見しました。近づいてよく見るとタヌキが倒れていました。すでに死んでいました。恐らくクルマに轢(ひ)き死なされたのでしょう。 事故の原因については、きっと数時間前まで、このあたりは山霧に覆(おお)われていて視界が悪かったからではないかと思いました。タヌキも、クルマの運転手も、お互いに視界が悪く、相手を発見するのが遅れてしまい、結果的にこのような悲惨な死亡事故につながってしまった可能性が高いように思います。 このタヌキにはかわいそうですが、交通事故という悲惨な現実を正しく認識し、クルマや歩行者、自転車ともに交通安全に万全を期すよう努力すべきという願いを込めて、タヌキの亡骸をカメラに収めました。 前方に霧が発生したら、霧のなかに入らないようにするのが一番安全です。もし、入るとしたら前照灯や後部赤色灯をつけ、徐行するようにするなど、安全確保を徹底するよう心がける必要があります。そうしないと、この憤死したタヌキのように道路に倒れることになりかねません。 わたしは、タヌキに合掌し、中田港へと先を急ぎました。谷間の小高い丘も、地形測定ソフトのカシミール3Dで測定したとおり、標高差50メートルほどの小さなもので、今朝起きたときに食べた菓子パンとジュースのエネルギーだけで十分に登り切れました。丘からの下り道は、視界も良好だったため巡航速度時速30キロメートルで中田港を目指しました。
◆中田港に着いたのは、朝7時50分でした。途中、山霧の流れに行く手を遮(さえぎ)られるなどの障害はありましたが、なんとか平均速度10キロメートル以上を維持できました。 わたしは、さっそく獅子島の片側(かたそば)港までの切符を買いました。切符の値段は自転車1台(運転者1人の運賃を含む)470円(04年5月現在)でした。 出港を待つ20分ほどのあいだで朝食を食べることにしました。次の段落はそのときに録音した音声です。クリックすると再生します↓↓ | クリックすると拡大します。 |
| 獅子島に向けて出港。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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中田港を出港してから30分後の8時40分に獅子島の片側港に到着しました。獅子島に着いてすぐに帰りの船の切符を買いました。片側港から中田港へ戻る船の最終便は15時20分(午後3時20分)です。これを過ぎると、翌7時35分の始発便まで中田港に行く船はありません。今から最終便までの時間は6時間ちょっと。このあいだに獅子島ツーリングを終えて片側港に戻ってこないと帰りの船に乗り遅れてしまいます。 |
| 七郎山を目指す。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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わたしは、獅子島でいちばん高い山の七郎山(しちろうやま。標高393メートル)に登ることにしました。港の近くで小売業などを営むお姉さんに「6時間で七郎山まで往復できるか」と聞いたところ、「自転車だったら往復できるし、山の向こう側にある集落『御所浦』(ごしょうら)まで行って帰ってこれる」と教えてくれました。さらに、獅子島の特産である大きなミカンを3つもいただきました。
お姉さんのところは、港で小売りの商売をする一方、ミカン畑も経営しており、いただいたミカン3つは、畑で獲れたミカンだそうです。わたしはお礼を言って、ミカンをいただき、鞄のなかに入れました。 標高393メートルの七郎山までは、一貫した登り坂が続きます。獅子島は周囲30キロメートル弱の小さな島ですから、山に登る途中、ずっと海が見えました。獅子島が小さな島で、周囲を海に囲まれている様子がよく分かります。周囲の島々の形もよく見えて、たくさんの鳥たちが飛んでいました。 山の中腹で少し休憩することにしました。いただいたミカン3個が、すごく重くて、このミカンを先にいただいてしまった方が得策だと考えたからです。1個あたりのミカンの大きさは犬の頭くらいの大きさがあり、ずっしりと中身が詰まっています。東京で買ったら安くても1個200円の値段はする大きさです。
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| 七郎山の頂上から。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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朝8時40分に片側港から登り始めて、七郎山の山頂に到着したのはお昼頃でした。七郎山の山頂からは、獅子島の周囲の海が見渡せます。頂上には登山者が休憩できるベンチなどが置いてあり、その近くには、先の大戦の戦没者慰霊碑が建ててありました。獅子島からも、たくさんの方が戦地に行って亡くなったそうです。 ちなみに七郎山の名前は、西暦1500年頃、獅子島などを治めていた有力者の「獅子谷七郎」という人に由来するとのことです。 獅子谷七郎は、どういう人だったのか、詳しい史料は残っていないそうですが、伝説によれば、獅子谷七郎は、当時の有力武将の島津常陸守忠兼(しまづひたちのもりただかね)に攻められて戦死した武将のひとり。島津の軍団が放った雉(キジ)の羽がついた矢に胴体を射抜かれたのが原因で死んだそうです。
獅子谷七郎は、死ぬ間際、周囲の者に「私は決して負けなかった。ただキジの羽のついた矢1本で死ぬ。とても悔しい。今後、この島には絶対にキジが住むことは許さない」と遺言を残して憤死しました。以後、島の人がキジの肉を食べると腹痛を起こして死ぬなど不吉なことが起こり、恐れをなした島の人は、キジの名を呼ぶことさえできなくなってしまったそうです。 以来、キジの名は「言わずの鳥」と呼ぶ習慣となり、獅子島にはキジが1羽も住まなくなって、今日に至っているそうです。ほんとうかどうかは分かりませんが、今回のわたしの自転車ツーリングでも、キジは見ませんでした。というか、わたしのこれまでの自転車ツーリングのなかで、キジを見たのはただの1回だけ。昔は日本全国にキジがいたのかも知れませんが、今となってはカラスやハト、ツバメなどに比べたら、貴重な鳥となってしまったのかも知れません。 |
| 御所浦から片側港へ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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七郎山を後にしたわたしは、獅子島で片側と同じくらい大きい御所浦(ごしょうら)という集落に下りることにしました。御所浦は、片側港からみれば、ちょうど七郎山の向こう側に位置しており、片側と同じように静かな集落でした。
島の方々の主なお仕事は農業か漁業か、あるいはその両方なのか、わたしが訪ねたときは、ちょうど平日だったこともあり、島の方々の姿は、ほとんど見ることはできませんでした。きっと、漁場や農作物を植えてある山へと出かけている最中なのだと思います。
海沿いの丘を越えて片側港に着いたのは14時30分(午後2時半)。隣島の諸浦港(しょうら)に行く船が出港するときでした。実は、この船が諸浦港から片側港に戻ってきたあと、中田港に行く段取りになっています。 中田港に少し早く着きすぎましたが、それでも、この船を乗り過ごすと一晩泊まることになるため、早く着くくらいがちょうどいいと思いました。中田港行きの船が出るまでの約50分のあいだ、片側港の木陰で休憩しました。
◆ここで語呂合わせをひとつ。「天草や、かさなり続く、島のかげ」。クリックすると再生します。(録音時間9秒、ファイル容量73KB、MP3形式) ◆語呂合わせをもうひとつ。「獅子島や、ミカンの香りと、七郎山」。クリックすると再生します。(録音時間10秒、ファイル容量78KB、MP3形式) |
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| 帰りの天長フェリーにて。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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そうこうしているうちに帰りのフェリーロザリオ号の出港時間となりました。船に乗り込み、夕暮れ時の美しい景色を楽しんでいると、すぐに中田港が見えてきました。そのときに録音したものです。次の段落をクリックする再生します↓↓ 獅子島は、青い海に浮かぶ、エメラルド色をした美しい島でした。ミカンなど柑橘類が豊富に実り、南国の島を強く印象づけられます。島から見る海も、また格別に美しく、わたしは、海と島との、これほど美しい調和を見たのは、今回が初めてでした。そんなことを思いながら、15時50分(午後3時50分)に中田港に着いたわたしは、帰りも約2時間かけて本渡市内のお宿に戻りました。 |