| 土砂崩れ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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離島沼島(ぬしま)から、淡路島へ戻ってきたわたしは、諭鶴羽山(ゆづるはさん)を越えて五色町へ帰ることにしました。淡路島最高峰の標高608メートルの諭鶴羽山山頂付近からは紀伊水道の海がよく見えました。山頂付近にある諭鶴羽神社には大きな老木が大切に保存されていました。
[前回までのあらすじ] 沼島へ行くときは、諭鶴羽山を大きく迂回しましたが、帰りは諭鶴羽山の山頂付近の峠道を越えるルートを走りました。沼島から淡路島の土生(はぶ)港へ戻ってきたときは午後1時半頃でしたので、日暮れまでに諭鶴羽山の向こう側の麓へおりられるペースで走ることを想定しました。 峠の標高は約530メートルとそれほど高くありませんでしたので、比較的余裕をもって越えられると考えていましたが、実際にはいくつもの困難が構えていました。 土生港から諭鶴羽山へは複数の道が通っています。山の斜面を利用してミカンなどの栽培が行われており、こうした農地を管理する道が何本もつくってあるからです。わたしは土生港から見ていちばん手前の道を登ることにしました。 しばらく登っていくと、道沿いで農作業をされていた方が、「この先は崖崩れで通れないから迂回しなさい」と、親切に助言してくださいました。これが淡路島での最初の崖崩れによる通行止めの体験で、後日、土砂崩れの現場にあちこちで遭遇し、迂回して時間をとられたり、自転車を担いで崩れた土砂の上を歩くことになります。 あとから知ったことなのですが、淡路島は地盤がとても弱く、毎年至るところで地滑りや土砂崩れが起こっています。あまりに数が多くて、復旧が間に合わず、昨年の土砂崩れがそのまま手つかずで残されているところもありました。 |
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| つばめ号の遭難。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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ミカン農園の方に教えていただいた迂回路は、ミカン畑の中を行く農道でした。地元の方のみが知っている道かと思えるほど細く、入り組んでいました。ミカン畑の周囲には人の背よりも大きい柵が張り巡らされ、「害獣から作物を守るため、柵を開けたら必ず閉めよ」という趣旨の看板が掲げられていました。きっと、この周囲には作物を荒らすイノシシやシカがたくさん生息しているに違いありません。 しばらく登っていくと、道の脇に慰霊碑がたててあるのに気づきました。石でできた大きな碑には、「つばめ号遭難慰霊碑」と書かれており、今から40年あまり前、この山の斜面に民間旅客機が衝突して9人の方が亡くなったと記されていました。碑文の概要を以下に転記させていただきます。
碑の前には、ずいぶん前に供えられたと思われるお酒の空ビンなどが置かれているだけで、ご遺族など当事者の方が頻繁に足を運んでお供え物をされている形跡は見あたりませんでした。山が険しく、事故から年月がたっていることもあり、簡単には足を運べない状況にあるのかも知れません。 しかし、なぜか、碑の周囲はきれいに草が刈り取られ、手入れが行き届いていました。きっと、心優しい地元有志の方々が事故で亡くなられた方やご遺族の無念さを察して、慰霊碑の維持に協力しているのだと思います。 |
| 諭鶴羽神社。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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山道の斜面はとても急なため、ほとんど自転車を押して歩き続けました。やっとの思いで頂上近くの峠まで登ると、諭鶴羽神社がありました。境内には、老木が数多く保存され、神秘的な環境が創り出されています。来た道を振り返ると紀伊水道の青い海が眼下に広がっていました。 この神社は沼島と同様、神様が島を産んだという「国産(くにう)み神話」に関連している施設のようです。 時間は午後4時少し前。わたしは先を急ぐことにしました。峠の向こう側に降りるには、山の峰沿いの細い道をしばらく走らなければなりません。この峰に差し掛かったとたん、急に風が強くなりました。紀伊水道方面から吹き付ける海風が、風は轟音(ごうおん)を立てて吹き付けます。 あまりの強い横風にたまりかねて、自転車を降りて歩きました。足がふらつき、体をかがめて歩くほどでしたので、おそらく風速15メートル/毎秒くらいの強さです。淡路島は、他の多くの島嶼(とうしょ)と同じく、冬から春にかけて強い風が吹くそうなのですが、この峰のように、場所によっては季節を問わず風が吹くことがあるようです。 |
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| バンビちゃん。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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目を細め、横風に耐えながら自転車を押していると、20メートルほど前方に逆三角形をした鹿の顔が見えました。まだ幼い鹿のようです。木々の茂みの中からかわいい顔をのぞかせて、数秒間こちらを見たあと、すぐに森の中へ姿を消しました。わたしの自転車には、クマやサルをよけるための鈴がついています。好奇心旺盛のバンビちゃんは、この鈴の音に興味を持って、顔をのぞかせたのかも知れません。 子鹿のかわいい顔に励まされて峠を越えたわたしは、南あわじ市の中心市街地の三原地区に向けて坂道を下り始めました。一気に麓まで駆けおりられると思った矢先、本日最大の難関が目の前に現れました。崖崩れです。道幅の6割が崩れていて、残り4割は土砂に覆われていました。 崩れた道は復旧作業中で、人ひとりがやっと通れる細い道がつくられていたため、自転車を担いで向こう側に渡ることができました。万が一、道が完全に崩れて、向こう側に渡れなかったとしたら、来た道を引き返さなければなりません。時間は夕方4時を大きく過ぎているため、諭鶴羽の峠まで戻ったところで日暮れになってしまいます。最悪、神社の方にお願いをして、軒下にでも寝かせてもらうところでした。 この崖崩れの先にも、いくつか小規模な崖崩れが至るところにあり、淡路島の土地の脆(もろ)さを示していました。 難関を越えて山を下る途中に貯水池の「上田池」がありました。淡路島には水不足を防ぐために、たくさんの貯水池が建設されています。山からしみ出てくる水や雨水を貯めて、飲用水や農業用水などに活用しています。上田池には水がいっぱいたくわえられ、いまにもあふれ出しそうでした。このあと、三原地区を経由して、無事、五色町のお宿に戻ることができした。 |