| 淡路島最終日。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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1週間あまりの淡路島・自転車ツーリングも、きょうで最終日です。播磨灘に面した地方道で岩屋港へ向かう途中、アロマセラピーなどに使われる香料などを展示・販売する「パルシェ香りの館」に立ち寄りました。淡路島は仏教などで使う線香の生産が江戸時代末期から始まり、今では国内有数の生産拠点に発展しています。パルシェ香りの館も、ここ100年あまり続いている淡路島の“香りの歴史”に裏付けられた施設です。
活動拠点にしていた五色町のお宿を後にしたわたしは、播磨灘沿いに走る地方道31号線を岩屋港目指して北上しました。淡路島北部の岩屋港まで行き、そこから船で明石港へ渡り、在来線と新幹線を乗り継いで東京へ帰る行程です。明石港はJR山陽本線・明石駅のすぐ近くにある上、明石港から新幹線の新大阪駅まで乗り換えなしで直通できる点がとても便利です。船も在来線、新幹線ともに運行本数がとても多いため、わたしはほとんど時間を気にすることなくのんびりとペダルを回しました。 ※五色町は2006年2月11日に隣町の洲本(すもと)市と合併して洲本市になりますが、今回のツーリングでは合併前であるため「五色町」の表記を使います。 五色町から8キロメートルほど進むと淡路市の江井(えい)港に差し掛かりました。江井港は播磨灘に面した小さな漁港です。天然の入り江になっていて、その入り江の形が魚のエイに似ていることから江井港と呼ばれるようになったという説があると、江井港に掲示されていた兵庫県の案内板に書かれていました。 案内板によれば、この地域は冬季の季節風が強く吹きつけるために海が荒れ、漁に出られないことが多いそうです。日々の糧を得ることはできなくなった地元の人たちは、冬季に落ち込む収入を穴埋めする方策として、外部から職人さんを招いて線香づくりを始めたそうです。これがきっかけで淡路島に線香産業が根付き、国内有数の生産拠点にまで発展したとのことです。 なるほど、今でも江井港の周辺には線香の看板を掲げる工場が多数あり、近くには“香り”をテーマとした複合施設「パルシェ香りの館」がある理由も納得できます。 夏の間はとても穏やかな淡路島であるだけに、船が海へ出られなくなるほど風が強く吹き付ける冬の様相は、少し想像しがたいとものがあります。しかし、伊豆大島や八丈島などの離島が、冬の間、猛烈な季節風にさらされることや、冬の淡路島に行ったことのある友人の話しなどを総合すると、時期によって淡路島はたいへんな強風に見舞われることがあるのは、どうやら確かなようです。 | クリックすると拡大します。 |
| 江井港。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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今から100年あまり前の江戸時代末期、江井港周辺でつくられた線香は、港に出入りする帆船を使って全国の需要地へと運搬されたそうです。線香の原料となる香木や香料も帆船を使って江井港まで運んだとされ、陸上交通が発達していなかった当時、線香産業における海運の拠点として重要な役割を果たしていました。江井港は淡路島の線香産業の発展に欠かせない存在だったようです。 江井港の防波堤の上に、タコを獲るための仕掛け「たこつぼ」がたくさん干してありました。タコの漁場として全国的に有名な播磨灘に面した港ならではのもので、他の港ではあまり見られない光景です。関西地方で発祥して、全国的に愛される「たこ焼き」も、播磨灘でタコがよく獲れたことが背景にあるようです。 タコの需要が増えるに従って、播磨灘だけのタコの漁獲量では次第に追いつかなくなり、今ではかなりの比率を海外からの輸入に頼っているそうです。しかし、少なくとも、ここ江井港ではタコ漁が今でも続いていることを防波堤の「たこつぼ」は物語っていました。 |
| パルシェ香りの館。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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わたしは、江井港から5キロメートルほど離れた香りのテーマパーク「パルシェ香りの館」に立ち寄りました。パルシェは標高100メートルほどの高台にあり、香りの資料館などを中心とした「パルシェ香りの館」と、温泉と宿泊施設を兼ね備えた「パルシェ香りの湯」の主に2つの施設から構成されています。わたしは時間の関係から温泉には入りませんでしたが、「香りの館」だけも見ごたえは十分あり、存分に楽しむことができました。 パルシェ香りの館は、世界中の香水を取り揃えたり、いい香りのする花や樹皮、香料などをビンや壺に入れて楽しむポプリや、西洋式の生け花のフラワーアレンジメントの作り方を学ぶコーナーなどがあります。入場料は無料ですが、ポプリやフラワーアレンジメントの講習には、それぞれ講習料が必要です。いずれの講習料も数千円くらいで、それほど高くないように思いました。 敷地内にある温室や畑には、アロマセラピーなどに使う薬草や香草の「ハーブ」がたくさん栽培されていました。 江戸末期に線香の生産が始まって以来、この地域では香料の研究が盛んに行われています。パルシェ香りの館の売店でも、全国から集められた芳香グッズや石鹸などに混じって、淡路島産の香料を使った商品も数多く売られていました。いち地方で、香りに関する商品を多数揃えられるのは、とても貴重なことだと思います。香りは淡路島の地場産業として広く定着しているようです。 | クリックすると拡大します。 |
| 自転車に最適な島。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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パルシェ香りの館を後にしたわたしは、淡路島北部の岩屋港から明石港行きの「たこフェリー」に乗って帰路につきました。
淡路島をくまなく自転車で回ってみた率直な感想は、「自転車で走るのに最適な島だ」ということです。「もっと早く来ればよかった」とさえ思いました。自転車で登るのにほどよい高さの山が連なり、きれいな海に囲まれて心が和みます。離島の沼島(ぬしま)や乳白色の石英の砂利が敷きつめられた五色浜、鳴門海峡のうず潮、淡路島三大名山の諭鶴羽山(ゆずるはさん)や先山(せんざん)、柏原山など天然の観光資源が至るところにあります。 他にも「パルシェ香りの館」や各種寺院など淡路島の歴史に根付いた文化施設も充実しています。1995年の阪神淡路大震災を記録した「北淡町震災記念公園」では、地震の怖さと事前の対策の重要性を改めて考えさせられました。今回は行けませんでしたが、淡路島人形浄瑠璃(じょうるり)の記念館や七福神を祀った寺院めぐりなどもお勧めだとお宿の方から聞きました。
生活面では、公衆便所の「あわじ花トイレ」とコンビニがとても役立ちました。女性ライダーにとって、気になるのはお手洗いです。男性のようにちょっとした草むらで立ちながら用を足すというわけにはいきませんので、どうしても一定間隔でお手洗いが必要になります。「あわじ花トイレ」は、地元の方々や観光客向けの公衆便所で、要所要所に設けてありました。 淡路市や南あわじ市、洲本市など行政区域に関係なく、島内の公衆便所の多くに「あわじ花トイレ」の花マークの共通のロゴが入っていました。行政の壁を乗り越え、島を挙げてトイレの維持管理に努めておられることがよく分かりました。この花トイレには、ほんとうに何度も助けられました。どの花トイレも手入れが行き届いていて、衛生的だったのが印象的です。地元の方々が熱心に掃除をしておられる姿が目に浮かぶようでした。 |
| 便利な淡路島。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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コンビニは島内の主要な集落や街に点在していました。東京のような都市部に住んでいると、交差点毎にコンビニがあるのではと思えるほど頻繁に見られるのですが、地方に行くとあまりのコンビニの少なさに驚かされます。とくに離島の場合は、コンビニが1軒もないケースも多く見られます。恐らく船や飛行機で物資を輸送するのにコストがかかり、採算が合わないのが理由だと思います。
お宿の方に聞いたところ、淡路島でも本州と結ぶ明石海峡大橋や四国と結ぶ大鳴門橋が開通する前は、コンビニの数がそれほど多くなかったと話しておられました。本州や四国に通じる橋が開通したことで、物資の輸送能力が飛躍的に高まり、コンビニが数多くできるようになったのだそうです。たとえば、大阪の工場でつくったお弁当やお菓子を四国に運ぶ途中に淡路島のコンビニへ立ち寄ったり、その逆もできます。運送経費などが削減され、淡路島のコンビニの採算ラインは大きく引き下げられたのだと推測されます。 コンビニがあれば、水や食料の補給が容易になり、自転車の旅がより快適になります。伊豆大島や八丈島は、コンビニがほとんどなくて苦労しましたし、新潟県の佐渡島でさえも、淡路島ほどコンビニの数は多くありませんでした。コンビニの数が多いというだけでも、利便性はとても高まります。 たこフェリーで岩屋港に着いたわたしは、明石駅から大手私鉄の急行のように速い新快速に乗って新大阪まで行き、そこから新幹線で帰宅しました。淡路島は離島なのに東京からとても便利な島で、観光名所やおいしいお料理が盛りだくさんにあります。幹線道路から外れれば、山や海が見えるのどかな田舎道が続き、自転車でのんびり走るのに最適な島です。いつかまた、近いうちに、この美しい淡路島を走りたいと思っています。 ◆次回は、淡路島ツーリングでのエピソードをまとめた「【番外編】雨の日、名産淡路牛をほおばる」です。淡路島名産のおいしい淡路牛のステーキをいただきました。この段落をクリックするとリンクします。 |
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