| 昆陽池へ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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関西名山めぐりの最終日は、帰りの新幹線の時間が迫っているため、山間部には行かず、都会のオアシス・昆陽池(こやいけ)の水鳥を見に行きました。昆陽池は、今から1200年あまりも前の奈良時代(731年)に農業用の溜め池として造られました。時代が下る過程で池の何割かは埋め立てられましたが、奈良時代の灌漑施設の遺構として歴史的な価値が高いそうです。冬になると多くの水鳥が飛来することでも有名です。
わたしは、今回の活動拠点にしている阪急宝塚線・川西能勢口駅から西側の同線・山本駅方面へと進みました。山本駅を過ぎると宝塚市北部の山手から流れてくる天神川(てんじんがわ)に差し掛かります。天神川沿いに南側へ下れば昆陽池に着きます。天神川沿いには、ところどころにサイクリングロードが整備されていて、比較的安全に昆陽池まで走ることができました。 川西能勢口駅から昆陽池までは、わずか7キロメートルの距離で、1時間ほどペダルを回して到着しました。昆陽池は伊丹市内にあり、伊丹市役所から数百メートルのところにあります。伊丹市立伊丹病院もすぐ近くにあります。 池の周囲は、市役所や市民病院など伊丹市の中枢的な施設が建ち並び、陸上自衛隊中部方面隊第3師団が駐屯する千僧(せんぞ)駐屯地もあります。1995年1月17日の阪神・淡路大震災のときには、この駐屯地から101日もの間、自衛隊員が自衛隊法で定められた災害派遣として、震災に遭った方々の救助に当たったそうです。他にも住宅地や工場が数多くあり、昆陽池の水と緑は、まさに都心のオアシスです。 昆陽池の歴史は古く、奈良時代の高僧で、橋を架けたり堤防を築くなどの土木工事を推進した行基(ぎょうき)が、農業用の灌漑設備のひとつとして建設したということです。伊丹市は、奈良時代の遺構としての昆陽池を早くから評価し、1968年から公園として整備に着手してきたそうです。 わたしが昆陽池に行ったときは、ちょうど冬の渡り鳥が飛来しているときでした。伊丹市が設置した水鳥などを観察する橋からは、たくさんのハクチョウやカモなどがよく見えました。 | クリックすると拡大します。 |
| 鳥たちと触れあう。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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わたしが見た野鳥は、ハクチョウ、カモ類、カモメ類、ハト、スズメ、カラスなどでした。池で繁殖している鳥もいるようで、まだ幼いカモもいました。伊丹市では鳥たちが都会の池で子孫を残し、元気に生きていけるよう十分な餌を与えています。ここに来ている野鳥たちは、公園管理者が餌を与えているため、人に対する恐怖心・警戒心は、他の野鳥に比べてかなり少ないように思われました。 ただし、近年問題となっている鳥インフルエンザの感染や池の水質汚濁を防ぐために、一般の人が野鳥に餌を与えるのは厳しく禁止されています。 水鳥などを観察するため池に張り出した観察橋に立っていると、カモの幼鳥がテクテクとこちらに歩いてきました。わたしがしゃがんで手を伸ばすと、子ガモは餌をくれるのかと思ったのか、手の先にクチバシを寄せてきました。餌がないことが分かると、すぐに離れていきましたが、子ガモの様子を見ていると、別の人の近くに寄って餌をねだっているようでした。まだ幼いためか、公園管理者と一般人の区別がついていないようです。 昆陽池は、近所の幼稚園や小学校から、多くの子供たちが遠足や写生大会などで訪れるそうです。伊丹市や川西市、宝塚市など北摂(ほくせつ)地域の人たちなら1度は足を運んだことがあるという市民の憩いの場所になっています。昆陽池の美しい水辺で、人を恐れない野鳥たちと触れあえ、とても楽しい時間を過ごすことができました。 このあと、わたしは陸上自衛隊千僧駐屯地の横を通り、JR福知山線・伊丹駅まで自転車で行きました。ここで自転車を袋に入れて新大阪へ行き、新幹線に乗り換えて帰宅しました。3日間だけでしたが、天候に恵まれたこともあり、関西を思う存分に自転車で走ることができました。まだまだ走りたいところはたくさんあるのですか、それはまた次の関西自転車ツーリングのために残しておくことにします。 |