| 映画祭でグランプリ受賞。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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2004年冬、稲荷前古墳(横浜市青葉区)の近くにあるアトリエに、若手有望の映画監督・岡田茂さんを訪ねました。 昨年夏、世田谷区下北沢の劇場で岡田監督の初監督作品『月がとっても青いから』を観賞したのがきっかけで、わたしは岡田監督の大ファンになりました。『月がとっても青いから』は、2004年10月に兵庫県で開催された第5回宝塚映画祭で見事グランプリを獲得するなど高い評価を得ています。今回は、岡田監督のアトリエを訪ね、特別にインタビューさせていただく機会をいただきました。
岡田監督は、横浜市青葉区役所の近くにある4世紀(301−400年)後半につくられた稲荷前古墳の近くにアトリエをつくり、創作活動に取り組んでいます。岡田監督は、土がこんもりと盛り上げられた前方後円の稲荷前古墳をこよなく愛しておられることから、この古墳の近くにアトリエをおくことにしたそうです。 稲荷前古墳の頂上に立つと青葉区の住宅街が一望でき、晴れた日は遠くに丹沢大山の山々がよく見えます。岡田監督は、辛いことや嬉しいことがあったときは、「稲荷前古墳の上に登って遠くを見つめる」ことで、心を静めたり、充足感を得たりしているそうです。稲荷前古墳を中心とした古墳時代の遺跡は、岡田監督の創作活動に大きなエネルギーを与えているようです。
わたしは、小田急線和泉多摩川駅から青葉区役所近くにある稲荷前古墳を目指しました。これまで自転車で走るときは、安全なサイクリングロードやクルマがあまり通らない林道などを選んできたわたしですが、今回の走行ルートは全線にわたって住宅街が続いています。和泉多摩川駅から稲荷前古墳までの距離は約12キロメートル。この間、サイクリングロードは一切ありません。クルマの交通が激しく、交通事故の頻度が多い住宅地を、いかに安全に走るかが大きな課題となりました。 県道など主要な地方道は、マイカーやトラックが道幅いっぱいに列をつくって走っているに違いありません。わたしは、軽トラックでしか通行できないような細い道や、急カーブや急勾配がある道を探しました。もし、自分がマイカーのドライバーだったら「できるだけ避けて通りたい」と考えるような道です。 3万分の1の比較的詳細な地図を眺めていると、湾曲した細い1本の道が浮かび上がってきました。この道は主要な地方道と平行して通っているのですが、地図で見る限り、軽トラック程度の小型車しか通れそうにありません。細い道は、明治大学生田キャンパスや長沢浄水場、西長沢浄水場の近くを通り、青葉区の美しが丘へ通じています。 実際に走ってみると、軽トラックが通るのがやっとの狭い道で、湾曲し起伏もあるため、予想どおり、クルマの通行はまばらで、比較的安全に美しが丘まで行くことができました。 | クリックすると拡大します。 |
| 美しが丘から監督アトリエへ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
| 稲荷前古墳で野外インタビュー。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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『月がとっても青いから』は、2004年10月に兵庫県で開催された第5回宝塚映画祭で見事グランプリを獲得。『某日快晴ワレ告白セリ』と『金魚』も、多方面から支持を得ており、全国で開催される映画祭などで続々とノミネートされているそうです。 これらの作品は、すべて岡田監督が脚本(シナリオ)を制作していらっしゃいます。映画制作においては、監督と脚本を別々の人が受け持つことがあるのですが、岡田監督は、みずから脚本を書くことをとても重視していらっしゃいます。「脚本を書かない監督は、たとえば、新聞記者が現場へ取材に行かず、伝聞だけで記事を書くようなもの」(岡田監督)と、みずから脚本を手がけるのは、記者が現場へ足を運んで取材するのと同じくらい大切だと話していました。 岡田監督のアトリエは、稲荷前古墳のすぐ近くにありました。午前11時、アトリエの前に到着したわたしは、「岡田監督、いらっしゃいますか?」と声をあげて呼びました。岡田監督は、すぐに窓から顔を出し、「きょうは天気がいいから、インタビューは稲荷前古墳でしましょう」と返答しました。忙しいスケジュールのなかで、インタビューのお時間を割り当ててくださった上に、稲荷前古墳での野外インタビューにまで応じていただけて、とても嬉しく思いました。 稲荷前古墳は、前方後円墳、方墳、円墳など大小さまざまな古墳群から構成されています。古いもので、今から約1600年前の4世紀後半につくられたものもあり、1960年代に発掘調査されたときは、あまりの種類の多さに「古墳の博物館」とも呼ばれたそうです。しかし、多くの古墳は、調査後、宅地造成のために壊され、現在、残っているのはごく一部だけだそうです。 稲荷前古墳で現存する最も大きい古墳の頂上からは、青葉区の宅地が眼下に広がり、遠くには丹沢大山の山脈もよく見えました。岡田監督は「うれしいときや、かなしいときに、ここに来ると、気持ちがすっとする」と、縄文弥生文化を受け継ぐ古墳時代の遺跡の不思議な力に魅了されている様子でした。岡田監督は、稲荷前古墳をこよなく愛し、監督のお仕事を本格的に始めた3年ほど前から、この近くにアトリエをつくられたそうです。 |
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| インタビューの音声記録。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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岡田監督のお気に入りの稲荷前古墳でインタビューをさせていただきました。「◆」 印がついた段落をクリックすると、インタビューを音声で再生します。音声ファイルの形式は「MP3」です。また、インタビューのなかで、岡田監督は、作品名の『月がとっても青いから』は“ツキアオ”、『某日快晴ワレ告白セリ』は“ワレコク”と、省略して呼称しています。
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| アトリエの中を見学する。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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稲荷前古墳でのインタビューが終わったあと、古墳の近くにある公園で、岡田監督にわたしと自転車の写真を撮ってほしいとお願いしました。厚かましいお願いだとは重々承知していたのですが、岡田監督は快く撮影を引き受けてくださいました。 岡田監督が撮った写真は、うちの専属カメラマンが撮影するのとは、まったく違ったテイストにできあがりました。さすが若手有望と称されているだけあり、専属カメラマンの平凡で特徴がない写真とは明らかに一線を画す、インパクトの強い写真になりました。
記念に、岡田監督にわたしの自転車「石橋号」に乗っていただき、写真を撮らせていただきました。 また、岡田監督のアトリエを少しだけ見学させていただきました。アトリエには、創作中の作品に関するたくさんの取材資料や、書きかけの脚本がおいてありました。脚本の原稿を少し見せていただきましたが、役者さんのセリフだけでなく、カメラの動き、ライトの位置、舞台セットの雰囲気、映像の創り方に至るまで、とても詳細に描かれていました。 脚本づくりは、現場の状況の変化や、新しい発想など、必要に応じて書き換えたり、加筆したりします。岡田監督の脚本には、何度も書き直された跡が残っており、作品づくりの苦労の一部をうかがい知ることができました。「脚本づくりでの過程は、いいアイデアが浮かんでこなかったりと悩むことが多い。しかし、その分、納得できる脚本が仕上がったときの達成感は大きい」(岡田監督)と、よい作品には、必ずよい脚本があると話しておられました。 午後3時。岡田監督は「次の撮影のため、スタジオに行かなければならない」とのことでしたので、わたしは監督にお礼をいい、アトリエをあとにしました。 わたしは、稲荷前古墳の近くの青葉区役所の前を流れる鶴見川サイクリングロードに沿って下流に向いました。少し進むと小田急線町田駅方面から流れてくる恩田川との合流地点があり、そこから恩田川の上流方面へ進路を変えました。 未舗装部分が多く残る恩田川沿いのサイクリングロードを通って、小田急線町田駅近くの玉川学園駅前まで行き、そこから輪行(自転車を袋に入れて電車などで持ち運ぶこと)して帰りました。 岡田監督は、2002年、27歳で脱サラして映画制作を始めたそうです。脱サラ直後は、まったく収入のない状態から、コツコツと作品づくりを進め、2004年には宝塚映画祭でグランプリを獲りました。岡田監督作品には、人の心の奥深くに眠る思い出を呼び覚ます、まっすぐで透明感のあるメッセージがあります。こうした上質な作風に注目が集まり、2005年は、新しい映画制作の依頼が殺到しているそうです。これからも、すばらしい作品をたくさん創ってもらいたいと希望しています。
[略歴] |
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