| 高尾駅を出発。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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2004年晩秋、京王線・高尾駅から小仏峠を越える旧甲州街道を走りました。旧甲州街道は、江戸時代、武蔵(現・東京都など)から甲州(現・山梨県)へ通じる主要な街道で、多くの人が通行していたそうです。小仏峠からは相模湖近くの美女谷へ下り、津久井湖の北側の山の中にあるお寺「峰の薬師」まで登りました。
ある日、ぼんやり地図を見ていると「旧甲州街道」という文字が、わたしの目に飛び込んできました。旧甲州街道は京王線・高尾駅近くから高尾山の西側にある小仏峠へと続いています。この道は、江戸時代まで使われていて、明治時代に入ってからは、現在の国道20号線(甲州街道)が開通したために廃道になったそうです。 地図には、小仏峠の1キロメートルほど手前で、旧甲州街道が消滅しているように書かれていました。しかし、この道は、江戸時代、武蔵から甲州へ通じる重要な街道であったため、人や馬車がたくさん通行していたに違いありません。わたしは「このような幹線道路が、そんな簡単になくなるわけはない」と考え、自転車で走ってみることにしました。 朝8時過ぎに高尾駅に着きました。高尾駅は京王線とJR中央線の総合駅となっていて、南口側が京王線、北口側がJR中央線のホームに近い構造になっています。この日は京王線の乗ってきたため南口に着きました。 南口は、スーパーやハンバーガー店などがあり、朝ご飯をいただくのに便利な立地になっています。ただ、甲州街道へは北口の方が近いため、南口のハンバーガー店で朝ご飯をいただいてから、自転車を組み立て、北口へと向かいました。高尾駅まで来るのに京王線を使うことが多いため、北口には初めて足を運びました。 まず目についたのが、北口の立派な駅舎です。京王線側の出入り口は、陸橋の下の隙間につくられた地味な感じの門構えなのですが、JR側は、どこぞの大名のお屋敷のような建物が建てられていました。タクシーやバスが何台も停車していて、「高尾駅の正門はJR側だ」と主張しているようでした。 | クリックすると拡大します。 |
| 旧甲州街道に入る。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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旧甲州街道は、現在の甲州街道から分岐した地方道516号線として、小仏峠の手前まで整備されていました。道の両脇には、古い建物が点在していて、江戸時代に使われていた検問所「小仏関」の跡地もありました。検問所は、明治時代になってから廃止され、建物も取り壊されたそうです。江戸時代は、こうした検問所を使って人の往来を制限していたようです。
旧甲州街道と平行して、JR中央線や中央自動車道(高速道路)が走っています。建設中(2004年末現在)の圏央道と中央自動車道の接続部分も、この旧甲州街道沿いに位置しています。効率化を追求する現代の鉄道や高速道路が、旧甲州街道沿いに建設してあることを考えると、ここが山梨県方面に通り抜けやすい地形だと、すでに江戸時代から判明していたのかも知れません。 小仏峠の手前の旧甲州街道は沢沿いの低いところにあり、高速道路や中央線は陸橋や盛り土などの高いところに敷設されています。空を見上げると、途中でブッツリ切れている圏央道の陸橋が見えます。これからもっとたくさんの橋を継ぎ足して、中央自動車道へと接続するのだと思います。 道なりに進むと、旧甲州街道はぐんぐんと高度を上げていきます。さっきまで頭の上に見えていた中央線を見下ろし、さらにその上の中央自動車道の陸橋より高く登ってきました。中央線や中央自動車道は、このあたりでトンネルに入ります。これが有名な「小仏トンネル」で、お正月やお盆休みの帰省ラッシュのときに、決まってテレビやラジオで「小仏トンネルを先頭に30キロメートルの渋滞…」と放送しています。 中央自動車道の小仏トンネルの長さは約2000メートルもあります。暗くて長いトンネルが、ドライバーに心理的な圧迫を加え、ドライバーは知らず知らずのうちにアクセルを踏む力を抜いてしまうのだそうです。アクセルを緩めるとクルマの速度は落ちて、その後ろを走っているクルマが追突しないようにブレーキをかける。するとそのさらに後ろを走っているクルマがブレーキをかける…という連鎖反応が起きて、自然渋滞を引き起こすのだそうです。 |
| 道路がケモノ道に? (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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旧甲州街道は、JR中央線や中央自動車道よりも高く登った地点で、急に道幅が狭くなりました。これまでは、小型のクルマがなんとか擦れ違える道幅だったのが、まるでケモノ道のように細く、険しくなりました。舗装もありません。一見したところ「行き止まり」のようになっています。行き止まりの脇のちょっとした空間にクルマを止めて、歩いて旧甲州街道を登っていく登山客の姿も見えました。
未舗装になってからしばらくは、軽自動車が1台通れるくらいの道幅がありましたが、それも長くは続かず、次第に人が擦れ違うのも難しいくらい細くなりました。傾斜の角度も大きくなりました。旧甲州街道が未舗装になってから、わたしは自転車を押して歩きましたが、登り坂がきつくなると、押して歩くのすら、たいへんな力が必要になる状況です。 道は狭くて湾曲し、勾配も急で、とてもこれが主要な「街道」だったとは思えません。江戸時代の人は、ここを通って甲州と江戸を往来したわけですが、道の状況を考えると人と馬が通るのがやっとだったと思います。馬車で荷物を大量に運べるような道ではありません。体格が大きく重たい牛だったら、路肩が崩れて、崖に落ちてしまいそうです。 しばらく激しい登り坂を歩いていくと、標高548メートルの小仏峠に到着しました。小仏峠について、まず驚いたのが、登山客の多さです。山のなかから吹き出てくるように登山客が次から次へと姿を現します。小仏峠は、観光客で賑わう高尾山から陣馬山方面へと続く長距離自然歩道が通っていることから、登山客が頻繁に往来しているようです。 わたしは自然歩道を横切る形で、旧甲州街道沿いに相模湖方面へ下りました。小仏峠では登山客の方々から「自然歩道では自転車に乗らないでね」という強い無言の視線を感じました。登山客にとって、自然歩道は大切な道です。それだけに、自転車で自然歩道を走ることに対して、強い拒否感を抱いているようです。わたしたち自転車ライダーは、こうした登山客の方々の気持ちを逆なでしないよう十分に気をつける必要があります。
小仏峠を通り過ぎるとき、風化して角が丸くなった石碑を見つけました。「高尾山」と文字が彫られているので、おそらく道案内のために建てられたものだと思われます。石碑には「寛政」という文字も読み取れました。「寛政」は1789−1801年までの江戸時代後期の年号だと思われます。 仮にそうだとすれば、この石碑は今から200年以上も前の寛政年間に建てられた可能性があります。草鞋(わらじ)を履いて、風呂敷包みの荷物を持った江戸時代の旅人から、機能的な登山靴を履いて、バックパックを背負った現代の登山客、あるいはわたしのような自転車ライダーに至るまで、石碑はこの峠で、静かにずっと通り行く人々を見てきたのかも知れません。 | クリックすると拡大します。 |
| 美女谷から峰の薬師へ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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小仏峠から美女谷まで下ってきましたが、まだ時間が早かったため、津久井湖沿いの道を通って京王線・橋本駅方面へ自転車を進めることにしました。また、津久井湖の北側に「峰の薬師」というお寺があるので、帰る途中に立ち寄ることにしました。
わたしの手持ちの10万分の1の地図には、峰の薬師の記述はあるのですが、そこまで行く道が書いてありません。お寺は、その名前の通り、山の峰の付近にあり、津久井湖からはかなりのぼったところにあります。地形測定ソフトのカシミール3Dをもとに推定すると、津久井湖からの標高差はおよそ200メートルもあります。 以前、津久井湖北側の道路を自転車で走ったとき「峰の薬師」への看板を見つけました。しかし、看板が指し示していた道は、延々と急な上り階段が続いている参道で、自転車や車は入れそうにありませんでした。 ある程度、大きいお寺を維持していくには、水や食料、建物の補修部材などをクルマで運搬しなければなりません。このため、どんな山奥にあるお寺でも、軽トラックなどで最低限の物資を運搬できる道がつくってあることが多いのです。わしは、山の地形から、こうしたクルマの道をつくれそうなところを探しながら、慎重に津久井湖の北側の道路を進みました。 すると、階段のある参道から橋本駅方面にかなり進んだところに「峰の薬師」への別の看板を見つけました。看板には「ハイキングコース」とも書いてあります。「クルマ道ではないのかな?」と少し不安になりましたが、とりあえず登ってみることにしました。 登り始めは舗装してありますが、すぐに砂利道に変わりました。傾斜もだんだんきつくなり、路面には雨水が削ったと思われる深くて長い縦溝が何本もありました。わたしは、溝にタイヤをすくわれないよう、注意深く進みました。擦れ違う車は1台もなく、道幅は軽トラックがギリギリ通れるほどに狭くなりました。 しばらく登っていくと、左手の視界が急に開けました。眼下の遥か下に津久井湖が見えます。ふと前方を見てみると、遠くに門らしい建物が見えます。峰の薬師に着いたようです。境内に入らせてもらうと、寺の住職さんらしい男性が、事務所の窓から顔を出して「あんたも自転車で来たのか。きょうだけで、もう3組も見たよ」と話しかけてくださいました。 わたしは、「自転車の方々は、どちらから来ているのでしょうか?」と聞いたところ、「あんたみたいに津久井湖から上がってくる人もいれば、国道20号線の大垂水(おおだるみ)峠や来る人もいる」と、大垂水峠から津久井湖まで登山道が通っていて、この峰の薬師はその登山道上に位置していると教えてくれました。 この道は、小仏峠を通る自然歩道とは違って登山客が少ないため、自転車で走りやすいのかも知れません。オフロードや山道が好きな自転車ライダーにとって、いいルートだと思います。 |
| 自転車ライダー現る。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
自転車ライダーの話しによれば、峰の薬師から国道20号線の大垂水峠まで1本の登山道が通っていて、その途中、城山湖へ抜ける分岐路もあるそうです。大垂水峠から峰の薬師までは、全般的に階段が多く、自転車を担がなければならない箇所が少なくないとのことです。しかし、途中から城山湖へ抜ければ、自転車を担ぐ区間はずっと少なくなると、自転車ライダーの方は教えてくれました。 この日は、もう日没が迫っていたため、わたしは来た道を下ることにしました。今度、機会があれば、峰の薬師から城山湖方面の登山道を通ってみたいと思います。 今回、わたしが走った小仏峠から津久井湖にかけての地域は、古くから武蔵と甲州を結ぶ交通の要衝です。このため今でも旧道や廃道などのさまざまな古道が数多く残っています。これらの道は複雑に入り組んで、その多くは地図に載っていません。こうした歴史のある道を、これからもひとつひとつ丁寧に走ってみたいと思いました。 |
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