| 相模川再発見。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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2006年初夏、唐木田駅(小田急多摩線)から海老名駅(同小田原線)まで自転車で走りました。八王子市の七国峠(ななくにとうげ)を越え、相模原市の相模川に沿って安全・快適にサイクリングを楽しみました。
わたしはこれまで相模川にサイクリングロード(CR)は存在しないものだと考えていました。ところが今回、一部区間に“準CR”とも言える舗装された遊歩道が整備されていることをベテランライダーのchana(チャナ)さんに教えていただきました。ダンプカーやトラックに怯えることはありません。 相模川の準CRは全線ほぼ舗装されていて自転車で快適に走れます。地元自治体の相模原市が中心となって整備したものです。相模川沿いにつくられた市営の美しい公園や散策路を実際に走ってみて、わたしは相模原市に対する見方が大きく変わりました。 相模原市と言えば工業地帯や米軍基地を抱え、大型トラックがうなりを上げて疾走する国道16号線が通っているなど、平穏で自然豊かな都市とはほど遠い印象をこれまで持っていました。相模川の準CRはこうしたわたしの旧来の見方を根底から覆す画期的なものとなりました。
ただ、七国峠、相模川エリアは道順が少々複雑なのが難点です。多摩川や荒川のCRのように河川敷の誰でも分かる明確なCRというものではないからです。七国峠は知る人ぞ知る未舗装の山道といった感じで、相模川沿いの準CRは丘陵地や田畑、民家が入り交じって迷いやすい傾向があります。 わたしひとりではとても完走できませんので、今回はこの地域にたいへんお詳しいチャナさんに道案内していただきました。チャナさんありがとうございます。 | クリックすると拡大します。 |
| 唐木田駅。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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朝8時半に唐木田駅でチャナさんと待ち合わせました。町田市と八王子市を結ぶ約10キロメートルのCR「戦車道」を経由して、八王子市の多摩美術大学方面まで自転車を進めました。この一帯は一大新興住宅地として整備が進んでいます。山野を切り開いて住宅や公園が次々と建設されており、戦車道もこの一環で整備されたようです。 七国峠は戦車道近隣でおそらく最大規模の新興住宅地“八王子みなみ野シティ”の南側に位置しています。地理的には戦車道のある丘陵地帯の延長線上にあると言えます。 戦車道を七国峠方面に向かう途中、初夏に咲く花々を見つけました。チャナさんは地理に詳しいばかりでなく、草木の花のこともとてもよくご存じです。「ほら、あんな花も、こんな花も咲いているよ」とチャナさんが教えてくれましたので、花のことをほとんど知らないわたしでも容易に見つけられました。 まず教えてくれたのは民家の脇の大きな木に咲いている淡い紫色の花です。キリ(桐、ノウゼンカズラ科)の花だそうで、昔は女の子が生まれるとキリの苗を植え、嫁入りするときに切り倒してタンスなどをつくる風習があったそうです。 タニウツギ(スイカズラ科)の桃色の花も咲いていました。わたしの背丈ほどの低い木で、箸(はし)や楊枝(ようじ)の材料になるそうです。ミズキ(ミズキ科)の小さい白い花やホオノキ(モクレン科)の大きくて香りのあるクリーム色の花なども見つけました。 よく通る戦車道ですが、これほどたくさんの種類の花が咲いていたなんてこれまで気がつきませんでした。 |
| 七国峠。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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七国峠へは戦車道から国道16号線を横切って入っていきます。道順がとても複雑なため【詳細地図A】をご参照ください。 チャナさんの案内で雑木林の山道を進んでいくと「鎌倉古道」という案内板がありました。今から約800年前、この道は当時幕府のあった鎌倉方面に向かう道として活用されていたそうです。地元有志の方が制作された案内板のようで、木製の枠に填(は)め込まれた焼き物に文字が刻んでありました。
七国峠周辺には鎌倉時代から続く古道遺跡が残るなど、近年になってもほとんど手を加えられていないことが分かります。たまたま雨上がりでしたので、未舗装のぬかるんだ地面にタイヤをとられて泥だらけになりました。 地元の人の話によれば、戦車道から七国峠に続く尾根道はグリーンベルト(緑地帯)として保存する方向で検討されているようです。七国峠のすぐ目ま前まで宅地造成が進んでおり、わずかに残った貴重な緑です。将来的には戦車道と一体感のある自然公園のような形で整備・保存されることが期待されます。 峠付近の山頂には小さなお堂があり、そこでお昼ごはんをいただきました。チャナさんは持参したお弁当、わたしはコンビニで買ったおにぎりを食べました。おにぎりだけでは味気ないだろうというこで、チャナさんが持参の卵焼きを少し分けてくれました。味がよくしみていてとてもおいしかったです。ごちそうさまです。 山を下りると東京家政大学の近くに出てきます。その斜め前には地元で採れた新鮮な牛乳でつくったアイスクリームを販売する店「町田あいす工房ラッテ」(町田市相原町2567番地)があり、わたしたちはここでアイスクリームを“午後のおやつ”としていただくことにしました。
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| 相模川へ。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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ラッテをあとにしたわたしは、いよいよ相模川に向かいました。ラッテから相模川上流部の小倉橋(おぐらばし)までは約3キロメートルあります。津久井湖方面に抜けるクルマが集中するため交通量がとても多い難所です。
危険な幹線道路を避けて、チャナさんが見つけ出した裏道を案内してもらいました。途中にクルマ止めのポールが立っていたり、極端に道幅が狭まったりするため、地元のクルマ以外の通行はほとんどありません。ただ、これといった目印のない住宅街の中を通る道ですので、うっかりしていると道に迷ってしまいます。地図を頼りに進んでいくしかありません。走行ルートの詳細は【詳細地図B】をご参照ください。 相模川サイクリングロード(CR)は多摩川や荒川のCRの様相とはかなり違います。多摩川・荒川のCRはほぼ平坦な土手沿いにつくられていますが、相模川CRは河岸段丘(かがんだんきゅう)を登ったり下りたりします。河岸段丘とは川の流れが長い年月をかけて斜面を削り、河畔が崖のようになっている地形のことです。 小倉橋からJR相模線・下溝駅付近までの約12キロメートルの間は河岸段丘が断続的に続きます。高低差が大きいところですと50−60メートルもあります。多摩川や荒川のCRでも多少の段丘は見られますが、これほど大きいものはありません。 相模原市では小倉橋から約16キロメートルの区間を「相模川散策路」として整備しています。途中、河岸段丘の下から上へと登る大きな坂が2か所ほどあり、相模川CRのランドマークの役割を果たしています。
また散策路には要所要所でかわいい球形の案内標識を設置してあり、多少ややこしい道のりですけれど、これを目印にして進むことができます。ぱっと見るとマンガ「ゲゲゲの鬼太郎」の「目玉オヤジ」のような形をしていて愛嬌があります。 |
| 相模川自然の村公園。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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相模川にはいくつかのランドマークがあります。河岸段丘もそうですが、相模原市立公園や弁天様を祭る神社なども目印になります。わたしは2004年に開通したばかりの「新小倉橋」の下をくぐり、平行してかかっている従来の「小倉橋」のたもとから相模川CRに入りました。【詳細地図C】をご参照ください。
市立公園の「相模川自然の村公園」は小倉橋から下流に向かって1キロメートルほど川沿いに進んだところにあります。河岸段丘の中腹に広がる平坦な土地をうまく活用したすばらしい公園です。段丘の高低差によって都会の喧噪から遮断され、とても静かです。 園内には宿泊やレストランなどのサービスを備えた大規模なリクリエーション施設「相模川清流の里」があります。3階にある「レストラン清流」のランチは格別で、1000円も支払えば都内一流ホテルのレストランもびっくりのおいしさのランチをいただけます。コーヒーやジュースなどの飲み物もおすすめです。 日替わりランチは個数限定で正午になる前に売り切れてしまうほどの人気です。日替わりがなくなっても他のメニューが揃っていますので焦ることはありません。 自然の村から抜け出すには標高差50−60メートルある河岸段丘の急斜面を登らなければなりません。登り切ると農家や住宅が立ち並ぶ集落が現れます。球形の“目玉オヤジ型”の案内標識を頼りに宅地の中を縫うように走ると高田橋(地方道54号線、相模原愛川線)に出ます。ここもややこしい道が続きますので、【詳細地図D】をご参照ください。
高田橋を過ぎると望地弁天を祭る神社があります。周辺には相模川自然の村に次ぐ規模のリクリエーション施設「望地弁天キャンプ場」があります。お手洗いや木陰のベンチもあるので休憩にもってこいです。望地弁天周辺は【詳細地図E】をご参照ください。 | クリックすると拡大します。 |
| 望地弁天。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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望地弁天はもともと相模湾に面した江ノ島にある「江島神社」に祭ってあったそうですが、明治時代の神仏分離の政策を受けて一旦藤沢市のお寺に移設。1878年、ここ望地に安置されたと案内板に書かれてありました。ご本尊の弁天像は江戸時代に制作されたものと見られていて、市の重要文化財に指定されています。
望地エリアは当時養蚕が盛んで、養蚕業の守護のために弁天様をお迎えしたそうです。生産した綿製品は相模川に当時運行していた帆掛け船で横浜などの大都市へ運搬していたとのことです。 自動車交通が発達していなかった明治時代、相模川は重要な交通路だったようです。午前中に通ってきた七国峠も近代には相模川から海路で横浜へと絹製品を運ぶための“絹の道”として使われていたと案内板に記されていました。相模原市・八王子市エリア全体で養蚕が盛んだったことが伺い知れます。 望地弁天を通り過ぎると再び数十メートルの河岸段丘を登る坂道があり、これを登り切ってしまえば小田急線・海老名駅までほぼ平坦な道が続きます。詳しい道のりは【海老名周辺の詳細図】をご参照ください。
七国峠や相模川は丘陵や河岸段丘など起伏と自然環境に富んだすばらしいサイクリングエリアです。都心から近いのも魅力です。この周囲にはもっと別の観光スポットや安全で快適な道がたくさんあると思いますので、これからもちょくちょく足を運びたいと思います。 今回、七国峠や相模川を案内してくださったチャナさん。ほんとうにありがとうございました。 |