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志田峠、南欧から幕末へ歴史街道を行く
2006年、相模川流域特集−第2弾−
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全行程40キロ余り (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 2006年初秋、志田(しだ)峠に行ってきました。相模川中流域から宮ヶ瀬湖に抜ける峠です。未舗装の細い峠道でクルマは通れません。のんびりゆっくりと森林のなかを自転車で走りました。

標高310メートルの志田峠にて。クルマの通らない静かな峠です。

 峠までの道のりは多少複雑です。このためこのエリアにとてもお詳しいchana(チャナ)さんに案内をお願いしました。前回の相模川ツーリングに続いてのご登場です。ありがとうございます。

 わたしはJR横浜線・八王子みなみ野駅から志田峠を目指しました。相模川経由で志田峠に向い、津久井湖を通って再び八王子みなみ野に戻ってくるコースです。全行程の走行距離は40キロメートル余り。相模川の河岸段丘や標高310メートルの志田峠、津久井の丘陵など起伏に富んでいます。

 八王子みなみ野駅を下りると真新しい新興住宅地が広がっています。丘陵地帯を宅地造成した「八王子みなみ野シティ」です。外壁が薄い黄土色をした“南欧風”の戸建て住宅がびっしりと並んでいます。

 「モデルハウス見学受付中」の幟(のぼり)がありましたので少しのぞいてみました。

 都心から離れていますので割安かと思っていたのですがとんでもありません。土地面積が150−200平米の建て売り住宅で4500−5000万円と意外に高い。それでも売り出し中の区画には「売約済み」の立て札がたくさん掲げてあります。緑地に囲まれ、都心に比べてゆったりした区画割りが人気の背景にあるようです。

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今回の活動エリアを示した図です。クリックすると拡大します。
走行ルート全体を示した図です。JR横浜線・八王子みなみ野駅から高田橋、志田峠を抜けて津久井湖に戻ってきました。
全行程40km余りの標高差を示した図です。地形測定ソフト「カシミール3D」で制作しました。
八王子みなみ野駅前の丘陵に広がる新興住宅地「八王子みなみ野シティ」にて。
相原の古い街並み (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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【地図1】相原地区から相模川へ抜ける比較的安全なルート。少し複雑すが覚えてしまえば簡単です。
南欧風のモダンな家が建ち並ぶ「八王子みなみ野シティ」にて。
幕末の豪農の暮らしぶりがよく保存されている「青木家屋敷」。隣り合っている町なのにおもむきの違いがあっておもしろいです。
東京都教育委員会の案内板。史跡・青木家屋敷について分かりやすく解説してあります。裏山の傾斜を利用した庭園もあるそうです。
緑と黄緑のラインが入った横浜線の列車が通りました。

 八王子みなみ野シティから東京造形大学のある丘陵を越えて隣りの相原(あいはら)駅に自転車を進めました。

江戸時代からの家督を受け継ぐ「青木家屋敷」。JR横浜線・相原駅近くにて。東京都指定史跡、町田市指定重要文化財・史跡です。

 ここからが難所の始まりです。

 幹線道路の町田街道が横たわり、その向こうには相模原の工業地帯が広がっています。狭い道に大型トラックが疾走しているため自転車で走るのはとても危険。これまで相模川・津久井湖方面へ行くとき町田街道や工場地帯をどう避けて通るかが大きな課題になっていました。

 わたしは2万5000万分の1の詳細な地図をじっくり分析。チャナさんの助言もいただきながら比較的安全なルートを新しく見つけ出しました。町田街道と平行して流れている境(さかい)川の向こう側の住宅地を通るルートです。分かりにくく、入り組んだ細い道ですので地元の人のクルマしか通りません。道さえ覚えてしまえば自転車にぴったりです。【地図1参照】

 相原地区は古い街並みがよく残っています。東京都指定史跡、町田市指定重要文化財・史跡の「青木家屋敷」はその代表格。付近には古い屋敷が多数あるのですけれど、その中でもとりわけ大きくて立派です。

JR相原駅は建て替えられたばかりのようにきれいでした。

 屋号は「本家(ほんけ)」で裏山の傾斜を利用した庭園などを含めた敷地総面積は推定7000平米。八王子みなみ野シティの5000万円の住宅の土地面積が200平米くらいでしたからざっと35倍もあります。母屋は今から140年余り前の1860年代に建てられ、江戸時代後半から明治期にかけて財をなした豪農のお屋敷です。

 東京都教育委員会の案内板によれば、「幕末から明治時代にかけての歴代当主は豪農として地域社会の教育や農業の振興に貢献。とくに青木正太郎(1854−1932年)さんは自由民権家として活躍した」と記してあります。

南欧風から幕末風 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 八王子みなみ野シティと相原は丘陵を挟んで隣り合っていますが雰囲気はまるで違います。一方では南欧風のモダンな住宅が並び、もう一方では青木家のような古い屋敷が多数残っています。青木家の場合、今でも現役の青木さんがお住まいだというのだから驚きです。

相模川にて。正面奥に見える背の高い大きな橋が「新小倉橋」。手前の低い橋が従来からある「小倉橋」です。新小倉橋の下をくぐって河川敷まで下りてきました。

 今のご当主は医者で屋敷の一部を診療所として使っています。建物や土地は私費で管理しているそうです。周囲をよく見てみると「青木」の表札がかけられた民家が多く見られます。分家なのかも知れません。

 町によって成り立ちや歴史が違いとても興味深いです。新しい町や古い町のそれぞれのよいところがあります。家族連れでモデルハウスを見学している姿があるかと思えば、江戸時代から綿々と家督を受け継いできた家もあります。自転車をとめてゆっくり観察してみるのもおもしろいと思いました。

 歴史ある相原地区をあとにしたわたしは、住宅地の中を相模川に向けて進みました。相模川にかかる高田橋までのルートは前回のツーリングレポート「相模川、七国峠を越えて海老名まで快走」と同じです。

地元自治会のお祭り。写真左の青い橋が高田橋です。これから橋を渡って志田峠へ向かいます。

 上流にある新小倉橋の下をくぐって河川敷までくだります。下流に向けて進むと相模原市営の保養施設「相模川清流の里」があり、ここで再び相模川の河岸段丘の上に登ります。そこからは相模原市が整備した散策路沿い走れば高田橋です。【地図2参照】

 高田橋の付近では地元自治会のお祭りが催されていました。相模原市在住の演歌歌手・岩木淳(いわきじゅん)さんが熱唱する「新・相模原音頭〜夢のふるさと」に合わせて、みな楽しそうに踊っています。わたしもお祭りの輪の中に入りたくなりました。

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【地図2】相模川から志田峠までの詳細地図です。志田峠は三増峠と半原地区の中間に位置しています。
相模川の河川敷にて。写真奥に見える大きな橋が新小倉橋です。
ヒガンバナとわたし。
相模川の河岸段丘を登る。傾斜がきつくていい運動になります。
河岸段丘を登り切ったところの展望。正面のコンクリート製の立派な建物は相模原市営の保養施設「相模川清流の里」です。
小沢城趾から志田峠へ (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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高田橋をわたり、小沢城趾に向かう激しい坂道を登る。徐々に視界が開けてきます。
小沢城趾の案内板。
城跡付近から相模川方面を望みました。山城らしい展望です。
東名厚木カントリークラブの入り口にて。ここまで来れば志田峠まで一本道です。

 志田峠へは高田橋から幹線道路を通って行く方法もありますが、今回はチャナさんが開拓されたルートを走りました。津久井湖方面から張り出した山塊の裾野沿いのルートで、集落や墓地、田畑など人里の中を行くものです。クルマの通りが少なくてとても快適です。

 このルートの入り口にあたる目印は「小沢(こさわ)城趾」です。城は相模川とその南側を流れる中津(なかつ)川に挟まれた台地の隅っこにあったそうです。高田橋をわたり「小沢坂」と呼ばれる坂道を登ってすぐの右側に「小沢城趾」に通じる山道があります。道が細くて坂が急なためクルマは通れません。いかにも“山城”にふさわしい地形をしています。【地図2参照】

 小沢城は室町時代(1336−1573年)初期に建立。城の土地面積は5700平米ほど。八王子みなみ野シティの土地面積200平米の住宅敷地が30個弱入る大きさのお城だったようです。立地に制約が多い山城だけに小振りです。1477年、当時の武家・扇ヶ谷上杉(おうぎがやつうえすぎ)家の家臣に攻め入られて落城しています。

 天守閣などの形跡はほとんどありませんが、「小沢」の地名は今でも受け継がれています。愛川町教育委員会の案内板によれば他にも「城坂」「城の内」「馬つくろい場」などの地名が残されているそうです。

 ◆志田峠への入り口の高田橋で録音しました。「チャナさんに案内してもらって志田峠に向かうところです。チャナさんも今回がまだ2回目ということなので、クルマの少ない道を探しながら自転車を進めます」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間38秒、ファイル容量303KB、MP3形式)

志田峠から津久井湖へ (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 小沢城趾のある愛川町から津久井湖方面へのクルマでの主なルートは山の中を通る「三増(みませ)峠」と中津川沿いの「半原(はんばら)」地区を通る2つ。志田峠は三増峠の南側、半原地区の北側に位置しています。未舗装の細い山道ということもあり、クルマでの通り抜けはできません。

志田峠でチャナさんとツーショット。道案内をありがとうございます。

 道案内をしていただいたチャナさんは、「小沢城趾から見て手前にある三増峠の方へ誤って入り込まないよう注意しながら山の裾野を進んでいくことがポイント」だと話しておられました。行き過ぎてしまうと中津川沿いにある半原地区へ抜けてしまうため志田峠への入り口を慎重に探します。途中、墓地の相模霊園や三増の集落、東名厚木ゴルフ場の前を通り過ぎました。

 このあたりは戦国武将の武田信玄と北条(ほうじょう)氏一族の合戦があった場所だそうです。

 1569年、武田側の遊軍が志田峠をひそかに駆け下り、北条側の軍団の背後を突きます。武田軍の正面勢力と背後に回った遊軍との挟み撃ちに遭った北条軍は総崩れになって本拠地のある小田原へ敗走。武田側の勝利に終わりました。この合戦の両軍兵力は約3万3000人。死者は4000人と伝えられています。

 江戸時代中期は北側の三増峠をしのぐ大街道として栄えたそうです。

 歴史ある志田峠ですが、わたしの行ったときはゴミの不法投棄があちこちで見られました。とても残念なことです。現場には「捜査中」と書かれた黄色いビニールテープが張ってありました。

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志田峠付近の2キロメートル弱は未舗装です。峠に近づくにつれて道が細くなり斜面も急になります。最後は押して歩きました。
心ない人による不法投棄。志田峠に続く道の脇にカンやビンなどのゴミが大量に捨ててありました。
東京農工大学の牧場にて。写真奥に黒い牛の姿が見えます。志田峠からの坂道を気持ちよく下ってきたところです。
志田峠を越えると視界が開けます。すがすがしい気分になります。
クレソン畑 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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視界が開ける高台がありました。遠くに津久井の街並みが見えます。
クレソン畑が一面に広がっていました。肉料理などに付け合わせる香味野菜です。
ヒガンバナがあちこちに咲いています。お墓も見えます。
赤いヒガンバナの咲く坂道を登って帰路につきました。

 志田峠は標高310メートルしかありませんので難なく越えられました。峠付近の2キロメートル弱は未舗装です。峠の手前までは近くにある大規模な養鶏場のにおいが風に流されてくることがありましたが、越えてしまうとなくなります。代わりに東京農工大学の牧場から牛の干し草のにおいがただよってきました。養鶏や牧畜が盛んなエリアのようです。

清流・串川から引いた水ですくすくとクレソンが育っています。

 ◆志田峠を越えたところで録音しました。「志田峠を越えたところに東京農工大学の牧場がありました。峠は標高310メートルと高くないため、相模川ツーリングの派生ルートとして気軽に足を運べそうです。峠を越えると津久井の山々に囲まれたのどかな牧場や田園が広がっています」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間1分07秒秒、ファイル容量526KB、MP3形式)

 山を下っていくとステーキなど肉料理の香味野菜としてよく使われるクレソン(別名オランダガラシ、ミズガラシ。アブラナ科)が栽培されていました。きれいな水田、湿地を好む野菜で、相模川の支流で水がとてもきれいな串(くし)川の水が活用されています。透明な清流にゆれるクレソンの緑の葉が幻想的で美しいです。

 全行程にわたってクルマの通りがほとんどない安全なルートをチャナさんにご案内いただきました。ありがとうございました。相模川のツーリングのバリエーションのひとつとして、古い歴史が残る豊かな里山・志田峠を散策してみるのもおもしろいと思います。



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