| 「多摩湖一周コース」の呪縛を解く。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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2004年秋、東京西部にある多摩湖を突き抜けて、埼玉県・飯能(はんのう)市と同・名栗(なぐり)村の境界付近に位置する竹寺(たけでら)に行ってきました。竹寺は、仏教の寺院でありながら、日本古来の神様もいっしょに祭られている珍しいお寺です。竹寺の帰りに名栗湖にも立ち寄りました。
わたしの活動拠点としている井の頭公園(東京・三鷹市)から多摩湖までは1本の真っ直ぐな「多摩湖サイクリングロード」が走っています。全長約10キロメートルの多摩湖サイクリングロードを走れば、自然と東京都民の主要な水瓶のひとつの多摩湖に到着します。 多摩湖の周囲にもサイクリングロードがあるため、わたしは時間を見つけては自転車で“多摩湖一周”の運動をしています。 この井の頭公園から多摩湖サイクリングロード、および多摩湖一周サイクリングロードを走る通称“多摩湖一周コース”は、わたしの活動拠点からも近く、往復の走行距離が約30キロメートルと手軽で、なおかつクルマに怯えなくて済むなど、安全性と利便性が高いコースです。 幾度となく往復した多摩湖ですが、これまで1度も多摩湖より向こう側に抜けたことはありません。そもそも“多摩湖一周コース”を走るときは、気軽な気持ちで出かけることが多かったため、コースを外れようと考える機会がありませんでした。 多摩湖と狭山湖は、隣り合った湖で、多摩湖が東京都内、狭山湖が埼玉県内にあります。ただ、貯水してある水の大半は東京都民が消費するためか、狭山湖の堤防補強工事のときに建てられた記念碑には、石原慎太郎・東京都知事の碑文が刻んでありました。 ちなみに、狭山湖の堤防補強工事は1998年−2002年までの4年間におよぶ大工事で、95年に発生した阪神・淡路大震災級の大地震が、万が一、首都圏を襲っても耐えられるだけの強さに生まれ変わったそうです。堤防の周囲は、まるで公園のように整備されていて、親子連れや野鳥の観察を楽しむ方など多くの人が訪れていました |
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| 狭山湖を走り抜ける。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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わたしは狭山湖を一気に走り抜けて、埼玉県の奥深くへ自転車を進めました。狭山湖を抜けると住宅地や工場地帯が広がり、クルマの交通量がとても多くなります。多摩湖・狭山湖の周囲は、美しい森林の木々が生い茂っているのですが、一歩、外に出ると普通の首都圏の街並みに戻ってしまいます。多摩湖・狭山湖の森林は、まるで砂漠のオアシスのようです。
本格的に車道を走る前に、朝ご飯をいただくことにしました。狭山湖の北側に早稲田大学の所沢キャンパスがあり、そのすぐ近くにレストラン「山田うどん」があります。朝食はこの山田うどんでいただくことにしました。山田うどんは、郊外を中心に店舗を数多く持っています。本社はご当地の埼玉県・所沢市にあります。 これまで、自転車で郊外を走っているとき、ときどき山田うどんの店舗を見かけたことはあるのですが、実際、お店に入るのは、今回が初めてです。また、学生時代にバイトをしていたうどん屋さんが山田うどんの麺を仕入れていて、その麺がとてもおいしかったのを覚えています。お店に入り、また、そのおいしいうどんが食べられるのかと思うと、とても嬉しく思いました。
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| 竹寺に登る。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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腹ごしらえをしてから、まずは飯能市市街地を目指して走り始めました。狭山湖から飯能市市街地までは、住宅地や工場に加えてお茶畑も広がっていました。この地域一帯は、高級茶の狭山茶の産地として有名だそうです。わたしは、畑のなかの農道など、できるだけクルマの少ないところを選びながら飯能市を目指しました。
狭山湖から飯能市市街地までの距離はおよそ15キロメートルほどあり、2時間弱で到着しました。その後、西武池袋線の飯能駅前から地方道70号線に入り、7キロメートルほと進んだ地点で、竹寺に向かう地方道350線に入りました。この道は、ほとんど林道のような細い道で、途中、何か所か分岐点はありますが、最終的には竹寺まで続いています。 標高約100メートル飯能駅から、標高500メートル近い竹寺まで、ほぼ一本調子の登り坂が続きます。 やっとの思いで竹寺に到着してみてびっくりしました。世界宗教の仏教の寺院であるはずの竹寺に、日本の民族宗教の神様であるはずの鎮守神(ちんじゅのかみ)や地主神(じぬしのかみ)が祭られているのです。道を間違えてよその神社に来てしまったのかと思いましたが、ちゃんと「竹寺」と書いてありますし、よく見ると、やはりお寺の様式です。 境内の案内板などを見てみると、ここは神仏習合(しんぶつしゅうごう)のシンクレティズム(重層信仰)の形態をとり入れた寺院だそうです。日本には八百万(やおよろず)の神々を祭るなど、もともと重層信仰の傾向があり、明治時代以前は多くの寺院や神社が神仏習合の形態だったそうです。 ところが、明治維新後の政府の方針で「神仏分離令」が打ち出され、重層信仰の状態から国家神道形成への道へと進んできました。竹寺は、そうした時代の流れのなかにあって、明治以前の形態を守り続けてきたお寺だということです。 結婚式やクリスマスはキリスト教式、初詣や七五三はお宮参り、葬式は仏教、困ったときは「神様、仏様、キリスト様…」と祈るなど、日本人の宗教観は、シンクレティズムの傾向が今でも残っていると言われています。神仏習合の形態は、古来の日本人の宗教観をよく表していて興味深く思いました。 | クリックすると拡大します。 |
| 名栗湖を経由して帰る。 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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竹寺をあとにしてから、峠を越えて名栗村(2005年1月に飯能市へ編入合併の予定)の名栗湖に立ち寄りました。小さなダム湖でしたが、周辺は観光名所になっていることもあり、たくさんの観光客で賑わっていました。名栗湖で少し休憩をしたあと、もうひとつ大きな峠を越えてJR青梅線・青梅駅から輪行(自転車を袋に入れて電車などで持ち運ぶこと)して帰りました。
多摩湖の奥には、狭山茶の茶畑が広がり、その先には深い山々が連なっていました。日常のコースを飛び抜け、閉ざしていた殻を打ち破れたような、爽快な自転車ツーリングとなりました。 |