| 切り立った岩の壁 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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長野県北部・黒姫高原ツーリングの第2回目は、「天の岩戸」の神話が伝わる戸隠山(とがくしやま)です。黒姫の南西に位置する飯縄(いいづな)山を、逆時計回りに周回するルートで往復しました。全行程は約60キロメートルを自転車で完走。戸隠山の中腹にある戸隠神社(奥社)までは徒歩でこなし、その周辺に点在する神社巡りも存分に楽みました。
戸隠山は、長野北部の名峰・北信五岳(ほくしんごがく※)のひとつですが、他の3座とは形状がまったく異なります。(※北信五岳については、前回のレポートをご参照ください。ここをクリックするとリンクします) 黒姫、飯縄、斑尾(まだらお)は、富士山のような円錐形ですが、戸隠は岩でできた巨大な“屏風(びょうぶ)”です。空から岩の壁が落ちてきて突き刺さったように、地面からほぼ垂直にそそり立っています。 こうした戸隠山の姿を見て、昔の人は古い神話に出てくる「天の岩戸(あまのいわど)」が、天界から落ちてきたものだと考えました。 他の山にはない特別な霊験があると信じられ、今から1000年以上も前の849年頃には、神仏に教えを研究したり、学問に励む修験者が集う場所になる。岩の壁のような戸隠山の麓には戸隠寺(当時)が建てられ、これが今の戸隠神社の奥社の起源になっています。 |
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| 知恵、神楽、腕力 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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戸隠に行こうと思い立つまで、わたしは恥ずかしながら天の岩戸の物語のことを全く知りませんでした。職場の取引先の方が、偶然にも戸隠のご出身だったのがきっかけ。「戸隠って、なんか変わった地名ですね」とわたしが問いかけたところ、「天の岩戸」の話をその方が教えてくれたのです。この伝説に興味を引かれたことが、今回の自転車ツーリングの始まりです。
物語のあらすじは、おおよそこんな感じ。戸隠の地名の由来と深く関係しています。 むかしむかし、神々の住む天上の世界「高の天原(たかのあまはら)」を治めるアマテラスという太陽の女神がいました。日の光で天界や地上をあまねく照らし、人々に恵みを与える。森や作物を育てる太陽は、この世界にとって欠かせない存在です。 そこに横暴な神様・スサノオがやってきます。高の天原で、嫌がらせや脅しなどさまざまな悪事を働きました。困ったアマテラスは、洞窟に身を隠し、大きな岩でできた戸を閉めます。たちまち陽光が消え失せ、世の中は闇に包まれます。こうすれば、さすがのスサノオも自らの罪に気づき、反省するだろうと考えたからです。 果たして世界は真っ暗闇になりました。暗黒はスサノオだけでなく、八百万の神々や地上の人々など、あらゆるところに深刻な影響を与えます。いつまでたっても光が戻らないことに業を煮やした神々は、「知恵」と「神楽(かぐら)」「腕力」で、アマテラスを洞窟から出てきてもらう方策を考る。 知恵を出したのはオモイカネ、神楽を舞ったのは美しい女神・アメノウズメ、腕力を担当したのはアメノタヂカラオ。他にも八百万の神々が協力し、日の光を取り戻す作戦を開始します。 |
| 八百万の神々が集う (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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来る日も来る日も暗闇が続くなか、八百万の神々は洞窟の前に集まりました。たき火を囲んで、洞窟の前でウズメが音楽に合わせて美しい舞を踊る。そこの集まった八百万の神々は、その美しさに魅了され、思わず歓声を上げます。
賑やかな声は、洞窟に引きこもるアマテラスにも聞こえ、「どうして日の光がないのに、みな楽しそうにしているんだ」と疑問に思い、少しだけ岩戸を開く。そこへ洞窟の脇に潜んでいた力持ちのタヂカラオがすかさず腕を伸ばす。戸の隙間に手をかけ、力の限りをもって岩を引きはがしました。岩戸は高の天原から転げ落ち、地上に突き刺さる。 八百万の神々は、世の中に太陽の光を戻してほしいことを訴え、引きこもる場所を失ったアマテラスはこれに応じる。闇は駆逐され、再び明るい世界が戻り、横暴なスサノオは天界を追放されるという話です。 地面に刺さった岩戸は、すなわち今の戸隠山そのもの。もう二度とアマテラスが洞窟に閉じこもらないよう、神々によって地上に封印されます。“戸隠”という地名は、岩戸を隠すという意味から来ているそうです。また、周辺に点在する神社の多くは、天の岩戸の神話に関係した多くの神々を祭っています。
たとえば、戸隠山の中腹にある戸隠神社奥社(おくしゃ)は、岩戸を投げ飛ばしたタヂカラオ、戸隠の集落に近いところにある中社(ちゅうしゃ)は、アマテラス復帰の方策を考え出した知恵者のオモイカネ、火之御子社は美しい神楽を舞って神々を魅了したウズメをそれぞれ祭るといった具合です。 | クリックすると拡大します。 |
| 奥社から順番に神社巡り (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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黒姫高原を出たわたしは、まずは最も戸隠山に近いところにある奥社を目指すことにしました。飯縄山の北側を走る地方道36号線沿いに走り、奥社→中社→火之御子社と立ち寄って、今度は飯縄山の南側から回り込んで黒姫に帰還する周回ルートです。沿道には東京より一か月遅い桜や、高原のきれいな水辺だけに育つ純白の水芭蕉の花があちこちに咲いていました。
奥社へは片道約2キロのまっすぐな参道を歩きます。1612年頃に整備された道で、年を重ねた杉の並木がはるか向こうまで続いているのが印象的。なかには樹齢400年に達する巨木もあり、まるで天まで届く槍のように見えます。大切な岩戸を天の誰かにとられないよう守っているように思えます。 参道のいちばん奥に奥社があり、そのすぐ背後には壁のようにそそり立った戸隠山の威容が目に飛び込みます。山頂に続く登山道の尾根は痩せこけていて、細いところでは幅50センチしかありません。 登山道の入り口に掲げてある案内板には「剣の刃渡り」「蟻の塔渡り」と、いかにも道が細そうな名前が並び、傾斜度70度の急勾配(というか崖)には「胸突き岩」があると記されています。飛び出た岩に胸を突かれ、そのまま奈落の底に落ちそうな、とても恐ろしい山です。
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| 戸隠の不思議な魅力 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます) |
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奥社をあとにしたわたしは、オモイカネの中社とウズメの火之御子社に向けてペダルを回しました。オモイカネの子供で技芸の神のウワハルを祭る宝光社にも立ち寄ります。火之御子社をのぞいては、近代まで神仏習合の形態でしたが、明治時代初期の神仏分離の政策を受けて寺を廃し、神社に改めたそうです。このため、宝光社などのお社は寺院の建築様式を今もなおよく残しています。
戸隠に行ったとき、わたしは「天の岩戸」について、大きな勘違いをしていました。洞窟の扉なんだから、せいぜいお社に入る大きさか、少なくとも境内に置けるくらいのものだろうと勝手に思い込んでいました。戸隠山そのものが岩戸だとは考えが至りません。お社のなかをのぞき込んだり、扉らしいものを探して境内をうろついたりしましたが、見つからない。当たり前です。
つまり、“戸隠山という岩戸をこの目で見ている”にも関わらず、頭のなかでは“岩戸ってどこにあるの?”と、ハテナマークが3つくらい揺れている状態。すぐ目の前に真実があるのに、見えないなんてとても皮肉。自分の至らなさを暗示しているような出来事で、今から思うと戸隠のスケールの大きさ、不思議な力に触れた気持ちがします。何百年、何千年もの時を経ても失われない魅力、地元の方々の神々への厚い信仰心を垣間見た思いです。 | クリックすると拡大します。 |