表紙 >> 目次 >> 天の岩戸が隠された霊峰・戸隠山を望む
天の岩戸が隠された霊峰・戸隠山を望む
2008年、春の思い出特集
[目次ページ]  [走行ルートを検索]  [があ子の自己紹介]  [リンク集]

切り立った岩の壁 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 長野県北部・黒姫高原ツーリングの第2回目は、「天の岩戸」の神話が伝わる戸隠山(とがくしやま)です。黒姫の南西に位置する飯縄(いいづな)山を、逆時計回りに周回するルートで往復しました。全行程は約60キロメートルを自転車で完走。戸隠山の中腹にある戸隠神社(奥社)までは徒歩でこなし、その周辺に点在する神社巡りも存分に楽みました。

黒姫高原から戸隠山に向かう途中。雪解け水が流れる道沿いの小川に、白い水芭蕉の花がたくさん咲いていました。

 戸隠山は、長野北部の名峰・北信五岳(ほくしんごがく)のひとつですが、他の3座とは形状がまったく異なります。北信五岳については、前回のレポートをご参照ください。ここをクリックするとリンクします

 黒姫、飯縄、斑尾(まだらお)は、富士山のような円錐形ですが、戸隠は岩でできた巨大な“屏風(びょうぶ)”です。空から岩の壁が落ちてきて突き刺さったように、地面からほぼ垂直にそそり立っています。

 こうした戸隠山の姿を見て、昔の人は古い神話に出てくる「天の岩戸(あまのいわど)」が、天界から落ちてきたものだと考えました。

 他の山にはない特別な霊験があると信じられ、今から1000年以上も前の849年頃には、神仏に教えを研究したり、学問に励む修験者が集う場所になる。岩の壁のような戸隠山の麓には戸隠寺(当時)が建てられ、これが今の戸隠神社の奥社の起源になっています。

クリックすると拡大します。
今回の活動エリアを示した図です。戸隠山は新潟にほど近い長野北部に位置しています。クリックすると拡大します。
走行ルートを示した図。黒姫の南西に位置する飯縄山を、逆時計回りのルートで戸隠山を往復しました。
黒姫高原のお宿で朝食をいただく。お魚の切り身がおいしい。
東京より1か月遅い桜。戸隠山へと続く地方道36号線にて。
知恵、神楽、腕力 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
クリックすると拡大します。
黒姫高原から戸隠山まで往復すると約60キロ。きょうはがんばるぞ!
戸隠までは登り坂が続きます。標高が上がると白樺が増える。このあと神々の伝説が残る神社巡りが待っているため、午前中はただ黙々とペダルをまわして距離を稼ぎます。
山のきれいな水に生育する水芭蕉の大輪が咲いていました。
雪解け水が混じる小川に沿ってぽつぽつと咲いています。黄色い花はリュウキンカ(立金花)。
さらに登っていくと、少し大きめの沢に、水芭蕉が群生していました。

 戸隠に行こうと思い立つまで、わたしは恥ずかしながら天の岩戸の物語のことを全く知りませんでした。職場の取引先の方が、偶然にも戸隠のご出身だったのがきっかけ。「戸隠って、なんか変わった地名ですね」とわたしが問いかけたところ、「天の岩戸」の話をその方が教えてくれたのです。この伝説に興味を引かれたことが、今回の自転車ツーリングの始まりです。

お忙しい方も、この動画だけ見ればだいたいの雰囲気がつかめるよう編集しました。ウインドウズ付属のメディアプレーヤーで再生できます。(再生時間2分31秒、ファイル容量19.2MB、ビットレート1056Kbps、WMV形式)

 物語のあらすじは、おおよそこんな感じ。戸隠の地名の由来と深く関係しています。

 むかしむかし、神々の住む天上の世界「高の天原(たかのあまはら)」を治めるアマテラスという太陽の女神がいました。日の光で天界や地上をあまねく照らし、人々に恵みを与える。森や作物を育てる太陽は、この世界にとって欠かせない存在です。

 そこに横暴な神様・スサノオがやってきます。高の天原で、嫌がらせや脅しなどさまざまな悪事を働きました。困ったアマテラスは、洞窟に身を隠し、大きな岩でできた戸を閉めます。たちまち陽光が消え失せ、世の中は闇に包まれます。こうすれば、さすがのスサノオも自らの罪に気づき、反省するだろうと考えたからです。

 果たして世界は真っ暗闇になりました。暗黒はスサノオだけでなく、八百万の神々や地上の人々など、あらゆるところに深刻な影響を与えます。いつまでたっても光が戻らないことに業を煮やした神々は、「知恵」と「神楽(かぐら)」「腕力」で、アマテラスを洞窟から出てきてもらう方策を考る。

 知恵を出したのはオモイカネ、神楽を舞ったのは美しい女神・アメノウズメ、腕力を担当したのはアメノタヂカラオ。他にも八百万の神々が協力し、日の光を取り戻す作戦を開始します。

八百万の神々が集う (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 来る日も来る日も暗闇が続くなか、八百万の神々は洞窟の前に集まりました。たき火を囲んで、洞窟の前でウズメが音楽に合わせて美しい舞を踊る。そこの集まった八百万の神々は、その美しさに魅了され、思わず歓声を上げます。

戸隠山に向かう途中。「天の岩戸」はどんな形をしているのか、わくわくしながら自転車を進めます。

 賑やかな声は、洞窟に引きこもるアマテラスにも聞こえ、「どうして日の光がないのに、みな楽しそうにしているんだ」と疑問に思い、少しだけ岩戸を開く。そこへ洞窟の脇に潜んでいた力持ちのタヂカラオがすかさず腕を伸ばす。戸の隙間に手をかけ、力の限りをもって岩を引きはがしました。岩戸は高の天原から転げ落ち、地上に突き刺さる。

 八百万の神々は、世の中に太陽の光を戻してほしいことを訴え、引きこもる場所を失ったアマテラスはこれに応じる。闇は駆逐され、再び明るい世界が戻り、横暴なスサノオは天界を追放されるという話です。

 地面に刺さった岩戸は、すなわち今の戸隠山そのもの。もう二度とアマテラスが洞窟に閉じこもらないよう、神々によって地上に封印されます。“戸隠”という地名は、岩戸を隠すという意味から来ているそうです。また、周辺に点在する神社の多くは、天の岩戸の神話に関係した多くの神々を祭っています。

戸隠神社奥社の全景。この写真に天から降ってきたと伝えられる“天の岩戸”が写っています。さて、どれでしょう。(ヒント:とても大きい)

 たとえば、戸隠山の中腹にある戸隠神社奥社(おくしゃ)は、岩戸を投げ飛ばしたタヂカラオ、戸隠の集落に近いところにある中社(ちゅうしゃ)は、アマテラス復帰の方策を考え出した知恵者のオモイカネ、火之御子社は美しい神楽を舞って神々を魅了したウズメをそれぞれ祭るといった具合です。

クリックすると拡大します。
戸隠山山腹にある奥社へ続く約2キロの参道にて。樹齢およそ400年の杉の巨木が並ぶ。戸隠を象徴する景観です。
奥社参道の杉並木は、まるで天に向けられた大きな槍のよう。
このとき、東京ではもう初夏の気配がするというのに、奥社近くではまだ溶け切れていない雪が残る。
奥社に到着。岩戸を投げ飛ばした力持ちのタヂカラオを祭っています。著名な神社だけあってたくさんの参拝客が足を運ぶ。
奥社から見る戸隠山。目の前にまるで壁のようにそびえ立ちます。こんな大きな戸を閉められたら、並大抵では開けません。
奥社から順番に神社巡り (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
クリックすると拡大します。
走行ルートを立体的な地図で示しました。破線区間は徒歩。
全行程約60キロメートルの標高差を示した図です。戸隠方面が全体的に標高が高いことが分かります。
奥社に掲示される案内板。「天の岩戸」伝説や祭神のタヂカラオのことが記されています。
少し離れた場所から戸隠山を望む。一枚岩が地面に突き刺さったよう。不思議な形状です。
戸隠山の登山道。登頂ルートは痩せた尾根を通らなければならず、とても危険です。途中、幅50センチのナイフエッジもある。
戸隠の歴史を記した地元教育委員会の案内板です。修験者が集うようなったのは千年余り前の849年。当初は戸隠寺(現・奥社)でしたが、明治初めの神仏分離策によって寺を廃し、神社に一本化した。
3つある戸隠神社のうち、もっとも規模が大きい中社(ちゅうしゃ)にて。洞窟からアマテラスを誘い出す方策を考え出した知恵の神・オモイカネを祭っています。

 黒姫高原を出たわたしは、まずは最も戸隠山に近いところにある奥社を目指すことにしました。飯縄山の北側を走る地方道36号線沿いに走り、奥社→中社→火之御子社と立ち寄って、今度は飯縄山の南側から回り込んで黒姫に帰還する周回ルートです。沿道には東京より一か月遅い桜や、高原のきれいな水辺だけに育つ純白の水芭蕉の花があちこちに咲いていました。

戸隠山がよく望める鏡池にて。奥社から少し離れた場所にあります。風がない日は、戸隠山が湖に映り込み、とても美しいそうです。

 ◆戸隠山に向かう途中で録音しました。「雪解け水で潤う道路脇の湿地帯に水芭蕉が咲いていました。白いきれいな花があちこちに咲いています。実物を見るのは今回が初めて。これまで写真でしか見たことなかっただけに感動です」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間40秒、ファイル容量471KB、MP3形式)

 奥社へは片道約2キロのまっすぐな参道を歩きます。1612年頃に整備された道で、年を重ねた杉の並木がはるか向こうまで続いているのが印象的。なかには樹齢400年に達する巨木もあり、まるで天まで届く槍のように見えます。大切な岩戸を天の誰かにとられないよう守っているように思えます。

 参道のいちばん奥に奥社があり、そのすぐ背後には壁のようにそそり立った戸隠山の威容が目に飛び込みます。山頂に続く登山道の尾根は痩せこけていて、細いところでは幅50センチしかありません。

 登山道の入り口に掲げてある案内板には「剣の刃渡り」「蟻の塔渡り」と、いかにも道が細そうな名前が並び、傾斜度70度の急勾配(というか崖)には「胸突き岩」があると記されています。飛び出た岩に胸を突かれ、そのまま奈落の底に落ちそうな、とても恐ろしい山です。

戸隠の集落を背景に撮りました。小さな農村ですが、ここに修験者が集まり始めてから、すでに1000年余りもの時間がたっています。

 ◆戸隠の奥社で録音しました。「ここから戸隠山の尖った山頂がよく見えます。ザーッという音は、境内を横切る渓流の音です。山から吹き出てきた雪解け水が勢いよく流れています」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間35秒、ファイル容量415KB、MP3形式)

 ◆奥社境内の渓流のそばで録音しました。「戸隠には、昔、太陽の女神・アマテラスが使った岩戸があります。洞窟に閉じこもるための扉として使ったものです。世界を二度と暗闇にしないよう、岩戸を厳重に封印したと伝えられています」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間1分25秒、ファイル容量996KB、MP3形式)

戸隠の不思議な魅力 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 奥社をあとにしたわたしは、オモイカネの中社とウズメの火之御子社に向けてペダルを回しました。オモイカネの子供で技芸の神のウワハルを祭る宝光社にも立ち寄ります。火之御子社をのぞいては、近代まで神仏習合の形態でしたが、明治時代初期の神仏分離の政策を受けて寺を廃し、神社に改めたそうです。このため、宝光社などのお社は寺院の建築様式を今もなおよく残しています。

集落の外れから戸隠山を望む。ギザギザした特徴ある尾根の形状は、遠くからでも一目で戸隠だと分かります。

 ◆戸隠の中社で録音しました。「戸隠神社のなかで、規模が最も大きいのが中社。偶然にも結婚式が執り行われており、雅楽の生演奏中です。神社を巡りで結婚式に出くわしたのは今回が初めて。少し驚きました。見ず知らずのお二人さんですが、幸せになってほしいです」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間1分14秒秒、ファイル容量866KB、MP3形式)

 戸隠に行ったとき、わたしは「天の岩戸」について、大きな勘違いをしていました。洞窟の扉なんだから、せいぜいお社に入る大きさか、少なくとも境内に置けるくらいのものだろうと勝手に思い込んでいました。戸隠山そのものが岩戸だとは考えが至りません。お社のなかをのぞき込んだり、扉らしいものを探して境内をうろついたりしましたが、見つからない。当たり前です。

お宿の「黒姫温泉旅館あすなろ」さんでの夕食。運動したあとの晩ごはんはとびきりです。山のきれいな水を引いて養殖した川魚がおいしい。

 つまり、“戸隠山という岩戸をこの目で見ている”にも関わらず、頭のなかでは“岩戸ってどこにあるの?”と、ハテナマークが3つくらい揺れている状態。すぐ目の前に真実があるのに、見えないなんてとても皮肉。自分の至らなさを暗示しているような出来事で、今から思うと戸隠のスケールの大きさ、不思議な力に触れた気持ちがします。何百年、何千年もの時を経ても失われない魅力、地元の方々の神々への厚い信仰心を垣間見た思いです。

クリックすると拡大します。
中社の境内、ご神木の前にて。山盛りになった残雪がまぶしい。
中社に掲示された案内板。オモイカネの記述が見られます。
火之御子社の境内にて。美しい神楽を舞って神々を魅了した女神・ウズメを祭ってあります。
火之御子社に掲示された案内板。ウズメの記述が見られます。
オモイカネの子で技芸の神・ウワハルを祭る宝光社に続く石段にて。正面に見えるお社は寺院風の建築様式。神仏習合時代のなごりです。
帰路の途中、最後に見た戸隠山です。菜の花畑から撮りました。


[目次ページ]  [走行ルートを検索]  [があ子の自己紹介]  [リンク集]
前のページに戻ります。
表紙 >> 目次 >> 天の岩戸が隠された霊峰・戸隠山を望む