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奈良・明日香村から吉野路・蔵王堂を行く
2007年、夏の思い出特集
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奈良・明日香へ (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 古代史の舞台として有名な奈良・明日香村から世界遺産・蔵王堂のある吉野山まで自転車で走りました。ただまっすぐ行くのでは面白みに欠けますので、今回は吉野山の南側へぐぐっと回り込むルートを選択。そこからいつくも峠を越えながら蔵王堂にアプローチしました。途中、清流に恵まれた吉野路黒滝でアイスクリームを食べ、地蔵峠でお参りをするなど、盛りだくさんのツーリングです。

観光ガイドブック片手に奈良・明日香村に行ってきました。車窓に田園風景が広がっています。京都発の近鉄特急にて。

 奈良盆地の南部は、古代日本の最も初期の政治・文化の中心で、古墳や名刹が数多く残っています。なかでも明日香村は“数百メートルおきに何らかの遺跡がある”ほどの古代史のメッカ。たくさんの遺跡群を行政や住民が一体となって保存に努めています。このため、やたらに道路や駐車場をつくるわけにはいきません。全体的に道が狭く、クルマでは走りにくい。だったら、自転車で走るにはきっと快適な場所だろうと思い、行ってみることにしました。

 東京から新幹線で京都まで行き、そこから近鉄特急に乗り換えて橿原(かしはら)神宮前駅まで移動。自転車を組み立てて明日香村に向かいました。

 思ったとおり奈良市中心部のクルマの多さに比べて、ここはのんびりしています。観光客が遺跡群を見学しやすいようにと、駅でレンタサイクルを貸し出すなど、クルマに依存しない観光地づくりにも力を入れています。自転車を積極的に活用することで、クルマによる交通事故・渋滞の回避やエコロジー、遺跡の保全、健康増進といくつものメリットが享受できそうです。

 キトラ古墳や高松塚、飛鳥寺など、まずは有名どころの遺跡を見学したのち明日香村で一泊。翌日早朝から世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道(さんけいみち)」の主要な構成要素の“蔵王堂”がある吉野山に向かいました。(当レポートは自転車ツーリングがメインですので、明日香村での観光レポはまた次の機会に。すみません)

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今回の活動エリアを示した地図。クリックすると拡大します。新幹線に乗って京都まで行き、そこから近鉄特急で明日香へ南下しました。
【全体図1】走行ルート全体を示した地図です。明日香村から十日市を経て、吉野山まで走りました。詳細図は別途掲載しています。
京都駅の近鉄線ホームにて。新幹線の駅と一体的につくられていますので、乗り換えはとても楽です。
明日香村に向かう近鉄特急。年季の入った車体は、ピカピカに磨かています。この特急は吉野山方面へ行く電車と連絡するようです。
橿原神宮前駅にて。特急列車も停まる大きな駅です。ここから自転車に乗って小一時間ほどで明日香村に着きます。
吉野線沿いに進む (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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【全体図2】走行ルート全体を立体的に示した図です。地図中央を流れる吉野川より南側は、山がより険しくなります。地形測定ソフトのカシミール3Dで制作しました。
【詳細図1】走行ルート前半の詳細図です。明日香村から吉野川までのルートを示しています。クルマの交通量が多い国道を避けて、近鉄線沿いの地方道をのんびり走りました。
全走行ルートの標高差を示した図です。今回は4つの大きな峠を越えて、58キロメートルを完走。カシミール3Dを使って制作しました。
翌日朝、明日香村から吉野山に向けて出発しました。写真はお宿の近くにあった古代遺跡・亀石。村のぼぼ中心に位置していますので、目印にちょうどいいです。

 明日香村では、遺跡を避けて道がぐねぐねとつくられています。このため初めて来たわたしのような人にとって、まるで迷路のよう。たまたま、お宿を出てすぐのところに、亀の形をした大きな石像「亀石」がありましたので、これを目印にすることにしました。明日香の主要な遺跡群のほぼ真ん中に位置し、おおよその地理をつかむのにちょうどいいです。実は亀石の由来も、有力なお寺の敷地を示す標石(道しるべ用に立てた石)だという説もあり、まんざら用途に間違いはないようです。

ウインドウズ付属のウィンドウズメディアプレーヤーで再生できます。忙しい方も、この動画だけ見ればだいたいの雰囲気がつかめます。(再生時間1分12秒、ファイル容量8.5MB、WMV形式)

 吉野山までは国道169号線が通っています。でも、幹線道路だけありクルマが多く、さすがに自転車では走れません。そこで途中まで近鉄・吉野線沿いの田舎道をゆったりと行くことにしました。単線ですが意外に運行本数は多いようで、ガタンゴトンと時折きこえてくる電車の音を確認しながら前進。ゆるやかな丘陵が広がり、少しのぼってはまた下ることの繰り返しで、持久力が試されます。【詳細図1参照】

 JR和歌山線と吉野線が隣接する吉野口駅を過ぎたあたりから標高300メートルほどの上り坂にさしかかります。薬水(くすりみず)地区にあることから、便宜上「薬水峠」と呼ばせていただきます。ここを越えればターゲットの吉野山方面から流れる吉野川までほぼ下り坂です。

 薬水の丘の上にはは新興住宅街があり、東京でいえば多摩地区の「京王南大沢」や「八王子みなみ野シティ」のようなモダンなつくり。難波(なんば)や天王寺など大阪南部へのアクセスが比較的便利で、ぎりぎり通勤圏内です。

樺の木峠を越える (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 吉野川にかかる梁瀬(やなせ)橋をわたると、いきなり壁のような上り坂。水流による浸食で川底が低くなっていることもあり、向こう岸にある丘陵に登り切るまで、ひとがんばりです。行く手には標高400メートル級の「樺の木(かばのき)峠」が待ちかまえています。吉野川づたいに吉野山へ登ることもできますが、今回は清流・丹生川(にうかわ)沿いにある集落「十日市」まで一旦南下。そこから自然豊かで静かな山道からアプローチします。

近鉄吉野線沿いに丘陵地帯を進みました。単線をゴトゴトと音を立てて電車が走ります。

 息を切らせながら登っていくと、草刈り機のエンジンのような音が聞こえてきました。2サイクルエンジン特有の甲高さで、排気量が大きい感じでしたので、モトクロス場ではないかと直感しました。手元の地図では「ウッズモータースポーツランドしもいち」と記されていますので間違いなさそうです。しばらく進むと、大きな台形ジャンプや洗濯板状の小さなジャンプを、みなぴょんぴょんとモトクロスバイクで元気よく飛び回っているのが見えてきました。

 先へ進むと、エンジンの音も聞こえなくなり、再び静かな農村に戻りました。このあたりは青果や観賞用の草花などの栽培を複合的に手がける農家が多く、山肌にはさまざまな果樹や野菜畑が広がっています。秋には甘くておいしい柿がたくさん実るそうです。地方道20号線と合流して坂道を登り切ると、ルート前半部分で最も標高の高い「樺の木(かばのき)峠」に出ました。

 ◆樺の木峠で録音しました。「樺の木峠に着きました。これから十日市に向かいます。吉野の山は険しく、何度も峠を越えてここまで来ました。あたりを見渡すと、山の斜面に美しい果樹園が広がっています。農家の方が手入れをしていらっしゃる姿がちらほら見えます」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間1分4秒、ファイル容量505KB、MP3形式)

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【詳細図2】走行ルートの詳細図です。吉野川から十日市を経て吉野山までのルートを示しています。
近鉄飛鳥駅から壺阪駅にかけて、御殿のような立派なお屋敷が並んでいました。江戸時代は近くにある高取城の城下町だったそうです。
薬水の峠近くを快走する近鉄特急。
新興住宅街がある福神駅。欧風の駅舎がすてき。
吉野川を越えて、しばらく進んだところにモトクロス場がありました。軽快なエンジンの音を響かせながら元気よく飛び跳ねています。
十日市から黒滝へ (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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樺の木峠に通じる地方道20号線にて。視界が開け、美しい丘陵地帯が見渡せました。
山肌にはさまざまな果樹や野菜畑が広がっています。秋には甘くておいしい柿がたくさん実るそうです。
よい子は道路に飛び出さないようにしましょう。
樺の木峠の案内板。天誅組と幕府の戦いが記されています。昔は峠のお茶屋さんがあったそうです。
十日市の中心部に喫茶店がありました(写真右側)。ちょっとお茶に立ち寄りたかったのですが、まだ先が長いので断念。
十日市を流れる清流・丹生川。両側を山に挟まれています。

 樺の木峠は、明治維新につながる一連の動きのなかで王政復古を目指した武装集団・天誅組(てんちゅうぐみ)が、幕府側の軍勢と戦った場所としても有名だそうです。1863年9月、樺の木峠周辺で激しい戦闘が繰り広げられ、峠にあった茶屋も天誅組の敗北とともに焼失してしまったそうです。案内板によれば、昔「角屋」と呼ばれた茶屋の裏手にある柿の古木には、一部焼け跡が残っているとのことです。

樺の木峠にて。王政復古を目指した武装集団・天誅組が、幕府側の軍勢と戦った場所だそうです。

 明日香村を出発したときは古墳時代まっ盛りだったのに、ここへ来て一気に近代に近づいた気分です。古墳から明治維新まで1500年もの時間がたっています。大和地方は時代を超えて政治の舞台になっていることがよく分かりました。

 峠を越えて地方道20号線沿いに下っていくと十日市です。吉野山に続く地方道138号線の合流地点で、清流の丹生川が流れていることをのぞけば、郵便局とこのあたりでは珍しい(?)信号機があるくらい。かつては毎月10日に“市が立つ”交易の場所だったのかも知れません。わたしは地方道138号線に進路を変えて、丹生(にう)川沿いに進みました。【詳細図2参照】

 ここまで来ると丘陵地帯というよりは、山岳地帯に近くなってきます。川の両側には1000メートル級の険しい山々が迫り、野菜畑もあまり見られません。138号線は国道309号線と合流し、2キロメートルほど国道を走行。沿道に観光案内と休憩所を兼ねた施設「道の駅・吉野路黒滝」があましたので、少し休ませてもらいました。

国道309号線沿いの道の駅・吉野路黒滝にて。売店には地元名産の柿の葉ずしやコンニャクなどがたくさん並んでいました。

 吉野路黒滝の名産は、なんといっても柿の葉ずし。柿の葉でくるんだ押し寿司の一種で、吉野地方の売店で広く売られています。ほかにも手づくりコンニャクや木工品、炭コンロなど山がちな土地柄らしい産品が数多く店先に並んでいました。ここまであまり休憩せずに走ってきたことから、まずはアイスクリームをいただきました。名産もほしかったですけれど、とりあえず効率よくカロリーを補給するためです(笑)

峠地蔵さまを参拝 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)

 黒滝の道の駅をあとにしたわたしは、本日最大の難関・地蔵峠に臨みました。標高約550メートル。ここを越えれば吉野山までもう少し。国道から外れて地方道138号に入り、途中から分岐する48号線を登ります。峠までがんばれば、弘法大師さまがつくったお地蔵さまが出迎えてくれるはず。【詳細図2参照】

丹生川沿いに地方道138号線を進みました。この先、国道と合流して道の駅・吉野路黒滝に着きます。

 途中「地蔵トンネル」があり、ここを通れば楽ちんで時間の節約になります。でもトンネルを通ってしまうと有り難いお地蔵さまに会うことはできません。誘惑たっぷりのトンネルに吸い込まれることなく峠まで登ると、地図通りお地蔵さまを安置したお堂があり、ほっとしました。ここまで登ってきた甲斐があります。

 ご本尊はこの世と他界のさかいに立つほとけ・地蔵菩薩さま。日本三峠地蔵と称えられています。伝承では809年、真言宗の開祖・弘法大師さまが日本と朝鮮、中国の土を集めて地蔵像をつくったのが始まり。お堂は鎌倉時代に建てられたとのことです。道路を挟んだ反対側には湧き水「地蔵の水」があり、かつては峠を越える人々の乾きを癒したそうです。

地蔵峠の地蔵菩薩さまにお参りしました。弘法大師さまがつくったという有り難い仏さまです。

 ◆地蔵峠で録音しました。「地蔵峠までやってきました。弘法大師様がたてた由緒あるお地蔵様が安置されています。トンネルを通れば楽だったのですが、峠まで登ってきたことで霊験あらたかなお地蔵様にお参りをすることができました。向かいには清らかな湧き水が引いてあります」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間1分17秒、ファイル容量607KB、MP3形式)

 しばらく進むと1400年代後半(文明年間)に植樹された杉の巨木が目の前に現れました。天高く伸びる幹には枝が生い茂り、太陽の光を遮っています。樹齢はざっと500年余り。薄暗く、ところどころ細い光が差し込む様子は、まるで神さまが宿っているような神秘的な雰囲気です。このあたりは昔から山岳信仰が盛んで、多くの修験者(山伏)が修行を積んだそうです。土着の自然崇拝と仏教が複雑に絡み合った日本独自の宗教観をかいま見た思いがします。

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十日市で喫茶店にも寄れず、いいかげん疲れて、不機嫌なわたし。
道の駅・吉野路黒滝に着いて、おいしいアイスクリームとコーラでご機嫌が急回復しました。
地蔵峠にて。写真右側が地蔵菩薩さまが安置されている地蔵堂。左側に湧き水「地蔵の水」があります。
地元の方々の努力によって掃き清められています。昔は清らかな「地蔵の水」でお茶をふるまってくれるお茶屋さんもあったそうです。
地蔵峠を過ぎたあたりの集落。写真左の案内板には、個人宅がフルネームで記されていて驚きました。
杉の巨木が目の前にて。樹齢はざっと500年余り。クリックすると縦長の写真になります。
吉野山と蔵王堂 (◆の段落や写真を押すと音声や拡大写真が見られます)
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巨木の根本には大きな“うろ”があり、蜂の飛ぶ音が聞こえました。近づかない方がよさそうです。
周囲の木々と比較すると巨木(写真左)の大きさが際だちます。
勝手神社には「静御前ゆかりの社」との案内板。源義経と静御前にまつわる伝説が残っているそうです。
お食事処の名前も“静亭”。
吉野山は桜の名所としても有名です。中千本のバス停の前にて。
蔵王堂の境内にて。古くから修験道の中心的な寺院として厚い信仰を集めてきたそうです。
蔵王堂(写真正面)の参道に並ぶ商店(写真左)では、名産の柿の葉ずしとコンニャクが売っていました。
蔵王堂近くの商店でおみやげを買いました。無事に全行程を完走できてうれしかったです。

 さぁ、いよいよきょう最後に登る吉野山です。標高約550メートルの地蔵峠から一旦300メートルまで下降。400メートルの峠を越えて吉野山に到着しました。ルート全体の走行距離は約58キロメートルとそれほど長くありません。でも、薬水峠→樺の木峠→地蔵峠→吉野山と4つの峠や山に登った高さを合計するとおよそ800メートル。へろへろになりながら最後の坂道を登りました。尾根の向こうに蔵王堂の一角が見えたときは、一気に元気が湧いてくる思いでした。【標高図参照】

吉野山方面に登る途中、金峯山寺・蔵王堂を構成する建物の一部が遠くに見えました。目的地が近づいたことを実感できた瞬間です。

 吉野山の商店街に出て、まず目についたのが勝手(かって)神社。「静御前ゆかりの社」と記されていました。ここ吉野山は、平安時代末期の武将・源義経と、その愛人・静御前(しずかごぜん)が最後に別れた場所としても有名で、ところどころ義経にまつわる伝承や史跡が残されています。義経ファンのわたしとしては、もっと詳しく観光したかったのですが、もう日暮れ間近でしたのであきらめました(涙)。春は桜が美しいところです。

 山を下っていく途中に、ひときわ大きな寺院が金峯山寺(きんぷせんじ)蔵王堂です。今から900年余り前の1103年に建てられ、現存しているのは1592年に再建されたものだということです。堂内には神仏が融合した自然崇拝の一種・修験道(しゅげんどう)のご本尊で重要文化財の金剛蔵王権現(こんごうざおうごんげん)の巨像三体が安置されています。古くから修験道の霊場になっていて、蔵王堂はその中心的な寺院として厚い信仰を集めてきたそうです。

 ◆蔵王堂で録音しました。「“吉野の桜”で有名な吉野山まで来ました。国宝で世界遺産の蔵王堂から有り難いお経が聞こえてきます。いまご供養の最中です。わたしもお参りをさせていただきます」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間49秒、ファイル容量383KB、MP3形式)

吉野山に登ってくる途中に見えた蔵王堂関連の建物。重機もない時代、険しい山の中にこんな大きな建築物を建てたなんて驚きです。

 ◆同じく蔵王堂で録音しました。「吉野は見渡す限り山に囲まれた険しいところです。自転車で登ってくるだけでもたいへんなのに、その昔、これだけ大規模な寺院を重機なしでつくるなんてほんとうに驚きました。想像を絶する苦労があったのだと思います」という趣旨を話しています。この段落をクリックすると音声を再生します。(録音時間41秒、ファイル容量322KB、MP3形式)

 吉野山のふもと、近鉄・吉野駅から電車に乗ってお宿のある明日香村まで帰りました。いくつもの峠越えでたいへんでしたが、古墳時代から明治維新まで日本の歴史がぎゅっと凝縮された膨大な史跡の数々は圧巻です。今回の走行ルートはクルマの通りも比較的少なく、充実した1日を過ごすことができました。



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